瀧山寺
天台宗吉祥陀羅尼山薬樹王院瀧山寺は愛知県岡崎市の岡崎城の北東(鬼門の方向)にある。
主に瀧山寺縁起によれば、朱鳥元年(686年)役小角が青木川の瀧壺に龍が守っている金色の薬師如来を見つけ、これを袈裟に包んで拾い上げた。これを朝廷に報告すると鎮護国家の霊場を建てろという勅命を受けたので、自分で薬師如来を彫って庵を設け祀った(それでは、龍が守っていた金色の薬師如来像はどこにいったのか?瀧壺から拾い上げたのは霊木だったのでは?)。その庵は吉祥寺と号したらしいが衰退した。保安年間(1120年~1124年)、天台僧の
仁王門(三門)
バス停で二つ市街地側にある。三間一戸、入母屋造り
仁王像はフェンスの外から見るだけ。15世紀前半の作と書いてあり、建物よりも後世の作のようだ。
扁額は裏の文面によると文永十二年に藤原経朝の書という。
上層は尾垂木三手先、下層は三手先。
木鼻の渦巻き、若葉。三手先など禅宗様の特徴が入り込んでいる感じがする。
逆さ垂木。切り口が下を向いている。
上層の四隅尾垂木の上にいる表情豊かな邪鬼達。
青木川沿いの道は大沼街道と呼ばれているらしい。
仁王門裏側にある秋葉神社の石灯籠。
ガラ紡機は、
鳥居は東照宮のものだろうか。
左の駐車場になっている一段低い平地や右側のやや狭い平地には、かつて僧坊が建っていたのかもしれない。
立派な石灯籠は東照宮のおかげかな?
本堂
本堂は鎌倉時代の建築。その優美な姿に魅了される。
貞応元年(1222年)に足利義氏が造らせた。五間四方で檜皮葺の寄棟造り。
国の重要文化財。
滋賀県湖南市の阿星山長寿寺の本堂を思い出させる。こちらの方が伸びやかな印象。
瀧山寺では修正会結願の七日目夜に「鬼まつり」が行われる。その時は、この本堂の浜縁と外陣を松明が走り回るという。
外陣の肘木など、ここでも禅宗様の影響が感じられる。
内陣には入れず、外陣との間にはビニールシートが下がっている。もっとも寺のWebサイトには豊富に写真が掲載されている。
ご本尊の薬師如来像は50年に一度だけ御開帳されるそうだ。その他、日光・月光菩薩立像、十二神将像、不動明王、毘沙門天など、平安末期から鎌倉時代の仏像がこれだけ揃っているのは、寺勢が衰えた時期があったにしても戦火に巻き込まれることがなかったからだろう。
運慶・湛慶作の聖観音、梵天、帝釈天像などは現本坊がある一角にある宝物殿に置かれている。この宝物殿には、他に宝物殿を下ったあたりにあったらしい観音堂の本尊だった平安末期作の十一面観音立像や、頭に禅鎮という座禅中に頭を動かさないための丸い木?を乗せている天台大師坐像、当麻寺のような練供養会式が行われていた事を思わせる十二菩薩面の内の七面など見るものが多い。
江戸幕府第五代将軍徳川綱吉寄贈の梵鐘
日吉山王社
本堂の裏側にある。日吉大社の上七社を祀っている。説明にあるように七社を一つ屋根の下に並べて祀っている横に長い七間社流造。
日吉山王社の裏にまわる。
鳥居の先の社は稲荷社
水体薬師如来
ここは削平地らしい地形で、建物があったのかもしれない。
ここの湧水が祭祀場らしい。
瀧山東照宮
各地の東照宮はふつう本殿と拝殿を一体化し、その間を石の間という一段低い部分で繋ぎ、上から見ると「エ」の字型のようになっている権現造りで造られている。ここでは拝殿と幣殿は同じ床の高さで繋がっていて、幣殿と本殿の間には中門があり、本殿は独立した空間となっている。
本殿 中門 幣殿 拝殿