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阿星山(あぼしさん)長寿寺

Chojuji

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石部地区で常楽寺は西寺(にしでら)で、こちらは東寺(ひがしでら)。寺のパンフレットによると、聖武天皇の天平年中(729-748)良弁僧正によって建立された勅願時聖武天皇は大仏造営のため、一時信楽宮に遷都されたが、世継がなかったので良弁に祈請せしめたところ、良弁は阿星山中の瀑布に籠って祈った結果、間もなく降誕をみるに至った。そこで天皇は信楽宮より鬼門に当る東寺に七堂伽藍、二十四坊の寺を建立し、皇女生誕にちなむ子安地蔵尊を行基菩薩に刻ませて本尊とし、皇女の長寿を願い長寿寺という寺号をおくったとある。

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紅葉の季節になると、下の写真のようになる。

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本堂の秘仏子安地蔵菩薩像の御前立的存在か。


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石造多宝塔。聖武天皇の菩提を弔うために鎌倉時代に建立と寺のパンフレットにある。ちょっと安定感に欠ける。


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国宝の本堂。貞観年中に焼失、再建と寺のパンフレットには書いてある。貞観は平安時代初期859年~877年だが、説明板には鎌倉前期とみられると書いてある。桧皮葺で寄棟造の屋根、桁行五間・梁間五間。桧皮葺の屋根が美しい。表からは見えないが、説明に書いてあるように内陣と外陣は各々別の小屋組を持っていて、その上に全体を覆う屋根がある。これは、仏像を安置した金堂とは別に修法・礼拝用の礼堂が建てられ、それがが一体化してゆくという過程を示していると考えられる。


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本尊の子安地蔵は行基作ということで、割りに荒削りな仏像らしい。
2012年11月に57年ぶりという本尊子安地蔵のご開帳。春日厨子に入った真黒くてほとんど見えない地蔵尊像と両脇に観音像と毘沙門天像。写真が用意してあって、それでなんとかイメージを掴めたが、確かに荒削りで素朴な、しかし、普通に見るお地蔵さんとはかなり異なった姿の地蔵菩薩像だった。


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弁天堂。説明板には、昭和三十一年解体修理時に発覚された墨書に「?上葺の事天文十九年(1550)三月手間参百人云々」と言う修理銘がありそれ以前の建立には間違いないと書いてあり、寺のパンフレットには建物の様式、地中から発見された瓦に「文明六年」という銘があるという事で、室町時代の建築であることは、ほぼ間違いなさそう。


三重塔跡。織田信長が安土の摠見寺に移築してしまったという。安土城へ上る途中にある摠見寺には、この三重塔が現在も残っている。

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室町時代後期の建築と見られる拝殿(左下の写真)は重要文化財。この神社は当然長寿寺の鎮護社で神仏分離令で分けられたもの…といっても、参道は分かれていても拝殿、本殿と本堂、三重塔の位置関係からは渾然一体であったことが察せられる。
拝殿には大鋸(縦びき専用の鋸)で挽いた最古の板(1436年(永享八年)の銘がある。)である三十六歌仙に額が堂内の長押に架けられていたそうだ。

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東寺の集落。

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うつくし松

うつくし松

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根元から枝分かれしているのが特徴。美松山という山に自生するアカマツの変種。国の天然記念物。
ここから更に山に入ったところに住宅地があるのには驚かされる。

うつくし松

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うつくし松

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