伏見稲荷大社(2)
囲われてしまった狐。
大事にされているとも言えるけど…
長者社(秦氏祖神)と荷田社(荷田氏祖神)
秦氏と荷田氏は社家で、秦氏が社務(下社神主)、中社神主、上社神主の三職に転任職として、荷田氏が御殿預、目代の二職を代々勤めた。
秦氏は『山城風土記』逸文に出てくるように、古くからこの地に住み着いた恐らく渡来系の氏族。荷田氏も深草の氏族だったらしい。(神社体系編集会編『神道体系 神社編9 稲荷』平成三年の「解題」より)
下の写真の五柱と雨宮社
宮中にも稲荷信仰があったという事を証明している玉山稲荷社。
上御殿
白狐社(旧命婦社)
律令では五位以上の位階を持つ女性を内命婦、五位以上の官人の妻を外命婦と呼ぶ。上御殿之北ニ上ケ遷、依古實作窟、當時雌雄ノ命婦住所、入奥山コト一町半計、両狐ノ窟アリ、命婦谷ト云、毎夕此所ニ食物ヲ運送ス、是ヲ封戸ト云ハ、後三条院御宇、延久年中被授命婦官ノ以来ナリ
後三条延久三年行幸ノ時、今日ノ形アリテ、附属スルトコロノ雌雄ノ両狐ニ、命婦ノ官ヲ授給リ、可為食料之有勅語、是ヨリ於當社狐ヲ命婦ト称ス、コノ社ノ下ニ窟アリテ常ニ住ス、依之是ヲ命婦形ノ社トモ云
向かって左(北側)には、狐が出入りできるように穴が開けられている。でも、扉か金網があって出入りは出来ないみたい。
奥の院への千本鳥居へ入る手前には奉納鳥居では一番大型のものが並んでいる。これは価格相応の場所を提供しているということだろう。本当に千本鳥居らしくなるのは二股に分かれるあたりからだが、ここの鳥居は細くて(安くて)密集度が高いのが効果をあげている。奥の院から上は少し太い(高い)鳥居になるので、隙間が開いてしまってやや迫力に欠ける。
雷雨が激しい午後で暗い。異界へのゲートウェイの雰囲気の千本鳥居。
天気が良ければこんな感じ。
千本鳥居の中から見上げるとけっこう隙間がある。
奥の院(奥社)
後醍醐天皇の歌碑:南朝関係の話を色々集めた『吉野拾遺』という本の「明神臨幸の道を照し給ふ事」に基づいた石碑。
国会図書館近代デジタルライブラリー国史研究会 編『国史叢書. 安見太平記 芳野拾遺物語 櫻木物語 三人法師 細々要記 底倉之記』