Up
Down
Return

稲荷山(1)

根上がり松(膝松さん)

Uの字を逆さまにした様な根の中を通り抜けると、足腰の病が治ると言われていた。
現在は木の方が重態。

根上がり松


根上がり松

根上がり松


根上がり松

これは溶岩?小さな動物の形があちこちに見て取れる。


伏見神宝かんだから神社

奥社から稲荷山へ向かうと、すぐに右側に少し戻って上る道がある。その先の伏見神宝神社は伏見稲荷大社とは別の宗教団体。

伏見神宝神社

伏見神宝神社


伏見神宝神社

伏見神宝神社


伏見神宝神社

伏見神宝神社


伏見神宝神社

本殿の後ろを下った左にある斜面を掘ったもの。


伏見神宝神社の前の道をそのまま進むと、弘法滝に出る。

神道御徳社も伏見稲荷大社とは別の宗教団体。




稲荷山に摂社や末社ではない伏見稲荷大社以外の神社などがあるのは奇異な感じがするが、これには以下の背景がある。
明治四年  (1871年) 寺社領上知令により稲荷神社の境内は下社と稲荷山の七神蹟、そこへの参道のみとなり、その他は官有地とされた。
             官有地は管理が行き届かず、お塚などが無断で造られた。
明治三十五年(1902年) 官有地の内、約96,000坪が稲荷神社(現伏見稲荷大社)へ返還された。
昭和三十七年(1962年) 約135,000坪が返還された。
二度に渡り土地は神社に返還されても、既成事実化しているお塚などの構築物は撤去することはできないので、その御蔭で今日の特色ある景観が造られた。

昭和三十七年の境内地変換の時に建てられた記念の石碑。


根上りの松から三ツ辻への参道が一旦下がるあたりに、かつては伝法池があったと思われる。現在は水が枯れてしまっている。


熊鷹社と谺ノ池


熊鷹大神がどのような神様なのかは、右下の英語の説明がわかりやすい。


新池((こだま)ノ池、谺ケ池)は江戸時代に造られた農業用溜池。
池を右側にまわると、難切不動尊がある。その横から、新池に向かって二度柏手を打ち、その谺が近くから聞こえれば願いが早く叶うという。実際、手を叩くと、よく反響する。


荒神峰田中社権太夫大神

権太夫大神

権太夫大神


権太夫大神

権太夫大神


(2009/8/23) 権太夫瀧で滝行を体験した後、涼しい体で稲荷山四ツ辻から左に上る権太夫大神を改めて訪れた。
本殿五座の一つ田中大神を 祭っている神蹟とされている。神蹟とは伏見稲荷大社のサイトのQ&Aによると、神様のお鎮まりの所に、かつて祠があったようですが、それが廃絶後、 神蹟と称し今日に至ります。ということになっているが、ここが磐座(いわくら)だったのだろう。
京阪鳥羽街道駅のそば、鳥羽街道に面して田中神社がある。伏見稲荷大社境外摂社で、"和泉式部が伏見稲荷に詣でた時に…"という『古今著聞集』の話の場所だが、この田中神社が里宮か田宮の性格の神社なのだろう。従って、伏見稲荷の本殿五座の一つに組み入れられているが、どちらも農業神とはいえ元々は稲荷とは別系統の神様だったのは、『延喜式』「神名帳」で稲荷神社は三座であり、田中社と四大神は平安末に合祀されたと考えられている事からも明らかだ。

 

四ツ辻から右回りに「お山巡り」。



大杉社

大杉社

大杉社


大杉社

大杉社


眼力社




御膳谷

御膳谷

御膳谷


御膳谷

御膳谷


御膳谷

御膳谷


い289

御膳谷

御膳谷


御膳谷


御膳谷神蹟

御膳谷旧蹟


御膳谷

御膳谷


御膳谷

御膳谷


経塚

御膳谷と薬力社の間はどちらからも一旦上り道になるが、その尾根部分から山側に上ったところに建っている。明治四十四年(1911年)、ここで経塚が発掘された。この経塚は、関白で藤原氏の氏長者だった九条兼実が造営したのではないかと言われる。石碑はそれを示すために昭和四十一年(1966年)に建てられた。

経塚

経塚


薬力社~一ノ峰~三ノ峰へ