井荻村・関村
善福寺公園
永らくここは弁天さんだと思っていた。
上の説明板には「江戸時代、善福寺池の弁才天といわれ」とあり、左下の遅野井(遅之井とか遅乃井とも書く)の説明板にも源頼朝が江ノ島から勧請した「善福寺弁財天」と書いてある。弁天さんは神仏習合して市杵嶋姫命と同一視されてきた。大多数の人々にとっては、本地垂迹というほどの理屈っぽい理解ではなかったと思う。しかし、弁才天は仏教の天部に属するので、管理している井草八幡が神仏分離して市杵嶋姫命を祭神にしてしまったということか。
昔は、島への橋が架かっていた。
4月下旬から、上の池の中央付近の両岸の木の間をロープでつなぎ、鯉のぼりが下げられる。
善福寺稲荷
武蔵野台地は概ね平坦だが70メートル崖線や50メートル崖線という崖がある。この70mとか50mは大まかな標高を表している。その崖下には湧水があった。この崖(と言うより、谷の一番奥・谷戸 ―関東では「やと」と呼ぶ―)は氷河期から縄文海進の頃に形成されたのではないかという説があるが、よくわからない。このあたりの急な坂は、この地形をよく表している。
大和市神社
上の説明のように、本当は「大鷲神社」とか「鷲神社」にしたかったのだろう。
中には本当に大きな鷲の剥製がある。
天祖若宮神社
近現代の経緯として、竹下稲荷神社との間で祭神や建物の行き来(概ね天祖若宮神社が取り込む形だが)があった。
武蔵関公園
遊水池だが、脇を石神井川が流れるという奇妙な構造で、上の案内板に書いてあるように「下流域の洪水対策」として大雨の際の遊水池の役割を持たされてしまっている。