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井荻村・関村

善福寺公園

 
内田秀五郎の銅像

内田秀五郎の銅像
内田秀五郎の銅像

市杵嶋神社へは急な石段を下る。
市杵島神社

 
市杵島神社

 
市杵島神社


永らくここは弁天さんだと思っていた。
上の説明板には「江戸時代、善福寺池の弁才天といわれ」とあり、左下の遅野井(遅之井とか遅乃井とかも書く)の説明板にも源頼朝が江ノ島から勧請した「善福寺弁財天」と書いてある。弁天さんは神仏習合して市杵嶋姫命と同一視されてきた。大多数の人々にとっては、本地垂迹というほどの理屈っぽい理解ではなかったと思う。しかし、弁才天は仏教の天部に属するので、管理している井草八幡が神仏分離して市杵嶋姫命を祭神にしてしまったということか。
昔は当然、島への橋が架かっていたはずだ。

お大師さまなら一突きで水が沸いただろうが……。
遅野井

遅野井(の滝)。現在は井戸水。
遅野井

 
善福寺公園


善福寺稲荷

武蔵野台地は概ね平坦だが70メートル崖線や50メートル崖線という崖がある。この70mとか50mは大まかな標高を表している。その崖下には湧水があった。この崖(と言うより、谷の一番奥・谷戸 ―関東では「やと」と呼ぶ―)は氷河期から縄文海進の頃に形成されたのではないかという説があるが、よくわからない。このあたりの急な坂は、この地形をよく表している。

 
善福寺稲荷

 
善福寺稲荷

 
善福寺稲荷

 
善福寺稲荷

 
善福寺稲荷

ここにも武蔵御嶽神社の大口真神社の御札
善福寺稲荷

大和市神社

 
大和市神社

 
大和市神社

 
大和市神社


上の説明のように、本当は「大鷲神社」とか「鷲神社」にしたかったのだろう。
中には本当に大きな鷲の剥製がある。

天祖若宮神社

二ノ鳥居
天祖若宮神社

神楽殿
天祖若宮神社

 
天祖若宮神社

対等合併
天祖若宮神社

武蔵御嶽神社
天祖若宮神社

 
天祖若宮神社

近現代の経緯として、竹下稲荷神社との間で祭神や建物の行き来(概ね天祖若宮神社が取り込む形だが)があった。

稲荷社?
天祖若宮神社

稲荷社と厳島神社?
天祖若宮神社

 
天祖若宮神社

 
天祖若宮神社

武蔵関公園

富士見池を中心とした公園
武蔵関公園

松の島
武蔵関公園

 
武蔵関公園

この道は増水時冠水覚悟とみた。
武蔵関公園

 
武蔵関公園

 
武蔵関公園

遊水池だが、脇を石神井川が流れるという奇妙な構造で、上の案内板に書いてあるように「下流域の洪水対策」として大雨の際の遊水池の役割を持たされてしまっている。

 
武蔵関公園

 
武蔵関公園

 
武蔵関公園

 
武蔵関公園

あしの島
武蔵関公園

 
武蔵関公園

東伏見稲荷神社

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

本殿の裏側だけに限られるが、伏見と同じく、お塚巡りが欠かせない。

 
東伏見

東伏見

千本鳥居の縮小版
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

朱の玉垣に奉納したのが「浪花亭綾太郎事加藤賢吉」と書いてある。浪花亭綾太郎(1889-1960)は盲目の浪曲師で、盲目だからこそか「壺坂霊験記」の名調子で知られていた。

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見

東伏見

 
東伏見


伏見の稲荷山と比べると、かなりイナリ以外の要素が入り込んでいることがわかる。

橋場

 
橋場


青梅街道から東京街道が分岐する三叉路

 
橋場

 
橋場