浅草名所 七福神巡り
浅草神社(恵比寿)
三社祭で知られる。三社権現は、隅田川で観音像を見つけたという漁師の
夫婦狛犬
後ろから見た方が、仲睦まじい感じがする。
矢先稲荷神社(福禄寿)
寛永十九年(1642年)に徳川家光が京都の三十三間堂を模した三十三間堂を建て、お稲荷さんを勧請した。三十三間堂は矢先神社の東側、東本願寺(真宗東本願寺派本山)との間に南北に長い敷地に建てられていた。京都を真似て「通し矢」を催したが、的の先にあるので矢先稲荷と命名された。この三十三間堂は元禄十一年(1698年)に焼失し深川富岡八幡宮の東側に再建されたが、神社は取り残された。下谷神社と同様に「稲荷」を消したがっている気配が濃厚。
海老根駿堂という日本画家が描いた挌天井の馬乗史。
福々しいお顔の福禄寿
下が北です。
待乳山 聖天(毘沙門天)
本龍院という浅草寺の子院。寺章の巾着と二股大根があちこちに見られる。毘沙門天と言うよりも大黒さんの感じ。大聖歓喜天はインドのシヴァの子ガネーシャで、仏教では象頭人身の姿が一般的。双身歓喜天像は男女神(女神は十一面観音の化身)が抱き合っている姿で、実物を拝観できる機会は少ない。好物が大根と言うのは庶民的だが、源流は象の牙?違い大根・二股大根という形は双身歓喜天像を暗示しているという事か。巾着については、遣唐使が伝えたという亀屋清永の清浄歓喜団というお高い唐菓子が巾着の形をしているが、どちらは先だろうか。
生駒の聖天さんはこちら。
銅造の宝篋印塔。銅造の宝篋印塔は浅草寺にもある。
今戸神社(福禄寿)
石清水八幡を勧請したという今戸八幡に白山神社を合祀した神社。
招き猫発祥の地と称しているが、ひこにゃんファンクラブ会員としては、発祥の地は豪徳寺しか考えられない。
砂尾山橋場寺不動院(布袋尊)
法相宗寺院として奈良時代に創建されたとされるが、鎌倉時代の寛元年間に地元の砂尾という長者が再興、天台宗寺院になったという。
石浜神社(寿老人)
白鬚橋は、墨東側にある白鬚神社に因んだ命名。昭和六年(1931年)に竣工した。美しいアーチ橋だ。
社殿は主祭神がアマテラスなので当然神明造。
このあたりに橋場の渡しがあった。
富士塚を移築・再現したもの。宝永大噴火の産物なのか・そもそも積上げた溶岩が当初のものなのか調べが付かず。東京近辺の江戸時代に造られた富士塚などの構築物には溶岩がかなり用いられている。
真先稲荷の碑
吉原神社(弁財天)
吉原の四隅にあった九朗助社、榎本社、開運社、明石社と大門手間にあった
鷲神社 (寿老人)
専ら11月の酉の市で知られる神社。
北門を出ると長圀寺へ入る。
国際通りに面した参道入口脇にある古地図。鷲神社の周囲も田畑が多い。吉原は水濠で囲まれている。
吉原大門からの微妙なカーブなどは現在も変わらない。吉原神社に合祀された四隅のお稲荷さんの内、三隅は地図に示されている。
鷲在山長圀寺
法華宗本門流の寺。鷲神社(鷲大明神)は長圀寺の鎮守だったとしている。鷲神社側は長圀寺は別当寺だったとしているらしい。