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彦根城外堀

彦根城外堀

2015年05月、彦根市教育委員会文化財課は、滋賀県彦根市中央町の山の湯敷地内に彦根城外堀の土塁が原形を留めているのを発見したと発表した。


スミス記念堂

スミス記念堂

スミス記念堂


アメリカ人牧師P.A.スミスが昭和六年に建てた和風礼拝堂。礼拝堂というとピンとこないキリスト教のプロテスタントではない人は教会と思う建物。スミス会議というNPO法人が保存活動を行い管理・運営している。

スミス記念堂

スミス記念堂


スミス記念堂

スミス記念堂


スミス記念堂

スミス記念堂


スミス記念堂

スミス記念堂



金亀山北野寺(彦根寺)

北野寺

彦根寺は養老四年(720年)元正天皇の勅願で建立されたと伝えられる。開基は護命とされる。護命は奈良の元興寺に住し、淳和天皇の勅命で法相宗の宗義をまとめた『大乗法相研神章』という著作がある。但し、生年が750年で彦根寺の創建伝承とは合わない。


彦根寺の本尊は聖観音で観音信仰で賑った時期があった。
『扶桑畧記』卷三十、白河天皇の時代に、

承曆二年(1078年)
攝津國水田郡石良里,有沙門德滿者,上野延末之子也。生年二十歲,兩眼忽盲。經三箇年,參鞍馬寺,祈禱無驗。從寺出參籠長谷寺,祈請至第七日,夢見:「自御帳中老僧出來云:『我力不及。汝當往近江國犬上西郡彥根山西寺觀音靈驗之處致誠祈願。三日之內,各可有驗。』」夢覺以後,出長谷寺。三月九日,參著彥根山西寺,泣致祈願。至第三日戌剋,兩眼忽開,始見佛前灯明。件僧今住彼寺,當修長講。【已上出西寺驗記。】
應德四(寬治元)年(1087年)
十一月廿八日甲午,內大臣藤原朝臣師道,參詣近江國犬上西郡彥根山西寺。觀音靈驗,天下無雙之地也。內府頃年耳頗不聰利。然被參件寺以後,其恙忽痊。仍為賽宿禱。
二月十日丙午,重詣同寺(彥根山西寺)。三箇日間,參籠。

という記事がある。「西寺」とあるが、現在も西の丸のそばに観音台という場所がある。
慶長八年(1603年)彦根城築城に伴って金亀山から麓の現在地におろされてしまった。元和六年(1620年)二代藩主井伊直孝が自分が育てられた群馬県安中市北野寺から彦根の北野寺へ天満宮を勧請した。この経緯から考えると、彦根寺が北野寺に変えられたのは天満宮が勧請された時点のように思われる。
現在は真言宗豊山派に属する。天満宮は明治の神仏判然令で北野寺から分離され北野神社となった。


 

本堂


北野寺

北野寺


これはお稲荷さん

北野寺


役行者を祀る行者堂

北野寺


北野寺



北野神社

北野神社

北野神社


現在では寺よりも神社の方が羽振りが良さそうだ。

北野神社

北野神社



北野神社

北野神社


北野神社

北野神社


北野神社

北野神社



真浄山大師寺

大師寺

1931年(昭和6年)創建のお寺で歴史が長いわけではない。寝弘法さんはさすがに釈迦の涅槃と同じポーズ。
当然真言宗の寺にしかないはずだが、名古屋の宝珠院という寺にも石造りの寝弘法さんがあるそうだ。


大師寺

大師寺


智照山通眞院圓常寺

圓常寺

快慶作の阿弥陀如来立像があるお寺。
左足柄外側に朱色の「巧匠 法眼(ほうげん)快慶」の陰刻があるのだそう。
快慶が法眼に叙任されたのは承元2~4年(1208年~1210年)頃とされているので、それ以降の作となる。安阿弥様と言われる阿弥陀如来立像の中でも秀逸な感じがする。
滋賀県で快慶作とはっきりしているのは、他には石山寺多宝塔の大日如来坐像しかない。
この寺は、彦根藩二代目の井伊直孝が母を祀るために造った寺だが、どの様な経緯でこの像がここにやってきたのかは定かではないとの事。


圓常寺

圓常寺


圓常寺


圓常寺

圓常寺


祥壽山清凉寺

石田三成の家老嶋左近の屋敷跡に初代彦根藩主井伊直政が創建し、井伊家の彦根の菩提寺とされた曹洞宗の寺。
江戸時代には全国屈指の禅道場だった。

山門

山門を入って右側の客殿


彦根 清凉寺

彦根 清凉寺


山門を入って左側には座禅所

正面には本殿。左右非対象の面白い建物。


彦根 清凉寺

彦根 清凉寺