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帰命山養玉院如来寺

山門

 


歸命山如来寺

歸命山如来寺


大正十二年(1923)に養玉院と如来寺が合併してできた寺院。但唱の関係で如来寺の五智如来を見に来たつもりだったが、養玉院の方が歴史は古い。養玉院の前身寺院は円仁創建という伝承の三藐院さんみゃくいんで、現在の皇居東側あたりにあったらしい。太田道灌以来の江戸城は北の神田川と南の溜池への入江の間を東に突き出た半島のような地形の根元にあり、その半島には北に本住院という寺院、、南には三藐院、東先端に神田明神があった。神田明神は徳川家康の江戸城建設に伴い元和三年(1616)に大手町将門塚あたりから現在地へ移転した。三藐院は下谷忍岡へ移転した。当時の忍岡は主に上野の山を指しており、上野駅北側にあった屏風坂を上がった門内にあったということから、現在の東京国立博物館の東側、寛永寺塔頭や開山堂両大師堂あたりにあったのだろう。その後、他宗から邪宗派として訴えられた及意上人空源ぎゅういしょうにんくうげんが開いた涅槃宗を、後陽成天皇の遺命で天海が空源の弟、賢海を第一世とする天台宗三明院門流として天台宗に吸収し、寺号を三明院と変えた。再度山内でやや南に移転したらしい。寛文三年(1663)に養玉院と寺号を改めた。これは大壇越の対馬府中藩の第2代藩主宗義成そう・よしなりの正室で熱心な帰依者だった日野資勝の娘の法名「養玉院」からとったもの。元禄十一年(1698)の勅額火事ちょくがくかじで下谷の坂本に移転させられ再建され、宗家の位牌所も建てられた。しかし、明治時代に入り廃藩の後、寺は困窮し大正九年(1920)に現在地へ移転した。


鐘楼

 


歸命山如来寺

歸命山如来寺


対になった石燈籠には「武州東叡山 浚明院殿 尊前」とある。浚明院は徳川十代将軍家治(元文二年(1737)~天明六年(1786))の諡号。田沼意次時代の将軍。奉献者には勢州亀山藩石川家の名が見える。寛永寺と関係があった養玉院のご縁で東叡山寛永寺から明治時代にでも移されたものだろうか。

歸命山如来寺

歸命山如来寺


 

明王堂


歸命山如来寺

歸命山如来寺


本堂

歸命山如来寺

歸命山如来寺


阿弥陀堂

無量光殿は阿弥陀堂の下


歸命山如来寺

歸命山如来寺


歸命山如来寺

歸命山如来寺


歸命山如来寺は寛永十三年(1636)に弾誓の弟子にあたる但唱によって創建された。第一京浜の高輪大木戸跡の西側が境内だったらしい。国会図書館デジタル化資料の〔江戸切絵図〕「芝高輪辺絵図」のほぼ中央「高輪北丁」に「大佛如来寺」が見える。「フジ」とあるのは富士塚だろう。寛永十六年(1639)に寛永寺の末寺として正式に認められた。この時、奥多摩日原にっぱら渓谷にある一石山いっせきさん神社の別当寺だった大宝寺へ別当を送る事になった。これは如来寺に木材売却の収入をもたらした。また寛永十七年(1640)に大身旗本から高取藩主として大名となった植村家政の植村家が大壇越となった。享保十年(1725)麻布鳥居坂から出火した火災と延享二年(1745)千駄ヶ谷から出火した「六道火事」に遭い、諸堂が全焼してしまった。宝暦十年(1762)になって諸堂の再建が完了した。明治に入り一石山山林の上知、大壇越植村氏の高取藩廃藩で苦難の時代に入る。明治四十一年(1908)に現在地に移転したのも地価の差による収入を求めたものだろう。

歸命山如来寺

歸命山如来寺


 

五智如来を安置した瑞應殿


歸命山如来寺

歸命山如来寺


歸命山如来寺

右から左へ順に、

薬師如来

左上の説明によると、薬師如来像の一部だけは当初からのものらしいが、外見では他の四躰との違いはわからなかった。

歸命山如来寺

歸命山如来寺


宝生如来

歸命山如来寺

歸命山如来寺


大日如来

歸命山如来寺

歸命山如来寺


阿弥陀如来

歸命山如来寺

歸命山如来寺


釈迦如来

歸命山如来寺

歸命山如来寺


但唱は京都には蓮華寺因幡堂平等寺に石仏を残している。
宮島潤子『謎の石仏』(角川選書 1993 113頁~)によると、伊那にいた但唱は、刻んだ仏像が誓願の二万体に達した成就の供養に五智如来像を造立することにした。出来上がった仏像は天竜川を筏で下り、河口の掛塚から船で品川の霊岸島まで海船で運び、そこから艀で高輪まで運ばれたという。

但唱坐像
前面に透明ビニールが下がっているので、よく見えない。

歸命山如来寺

歸命山如来寺


本当は下の天燈鬼たちが肩に担いでいるはずだが、重いので降ろしました?

歸命山如来寺

歸命山如来寺


阿吽の天燈鬼。興福寺の庚弁作という天燈鬼・龍燈鬼が有名だが、ここでは左右共に天燈鬼の形。

歸命山如来寺

歸命山如来寺


写実的な庶民らしい筋肉質で静脈まで浮き出た脚。

歸命山如来寺

歸命山如来寺


歸命山如来寺

仏が守って下さって安心していられる、という感じの意味か。


堂内には、その他さまざまな小ぶりな仏像などが安置されている。

歸命山如来寺

歸命山如来寺


歸命山如来寺

歸命山如来寺

墓地へ


歸命山如来寺

左の石柱は、如来寺の門前にでも立っていたのだろうか。


萬霊塔

歸命山如来寺

歸命山如来寺


歸命山如来寺

歸命山如来寺


植村家墓所

歸命山如来寺


歸命山如来寺

歸命山如来寺


宗家墓所


歸命山如来寺

歸命山如来寺


参考史料:養玉院『瑞應 : 養玉院四百年史』あかね工房 1999