斎神社
伊勢へ向かう斎王一行が泊まったという伝承がある神社。
この神社も少菩提寺の守護神として祀られたと書いてある。
春のしだれ桜が有名。
正念寺
少菩提寺の東光坊跡という。
正福寺石造五輪塔
正福寺に統合され廃寺となった清寿寺跡にある。
金比羅大権現
公民館の角から上る道の突き当りにある。公民館に道標付きの常夜灯がある。
ここに金毘羅さんを祀ったのは杣川・野洲川の筏流しの関係者か?
県道27号野洲甲西線の石灯籠と地蔵尊。
大乗山正福寺
正福寺も少菩提寺と同様に聖武天皇の勅願で良弁が天平十五年(743年)に開いたとされる(根拠は『興福寺官務牒疏』か?)。少菩提寺と同様に興福寺の願安が平安時代初期に中興したが、織田信長絡みの戦いで焼失し、近世に入って傳通院など各地の住職を務めた寂誉が浄土宗寺院として再興した。昭和二十二年(1947年)に附近の清寿寺と永巌寺を合併した。本尊は平安時代の作とされる胎蔵界大日如来。秘仏だが『近江の祈りと美』の写真で見ることができる。
本堂
収蔵庫に四軀の平安時代の作とされる一木造の十一面観音立像と、左端に木造薬師如来坐像、右端に半跏の地蔵菩薩坐像などが安置されている。永厳寺の本尊だったという十一面観音立像は近江で一番の長身ではないかとの事。これらの十一面観音像は湖北の観音との近さを感じさせる。奈良から仏師集団が廻って造像したのではないかというお話だった。造東大寺司が延暦八年(789年)に廃止され東大寺造寺所へ縮小されたのがきっかけではないかという事はよく言われるが、脱活乾漆造-木心乾漆造という奈良時代の中心的技法を担っていた仏師たちが、材料や資金の制約があるからといっても、木彫へすんなり転身できたのか疑問もある。地蔵菩薩坐像は僧祇支の帯ではないかと思うが、腹の中央の衣・結び目を腹帯として子安地蔵と呼ばれるようになったとの事。
正福寺石造宝塔
塚山古墳
横穴式石室を持つ、直径が30mほどの円墳。
左写真のように、周濠か空堀のようなものがあるが、この規模で周濠は?だ。
野洲川を渡る甲西大橋から見た菩提寺山とその右後ろに三上山。