堅田(2)
野神神社(勾当内侍 の墓)
勾当内侍の墓とされるところに建立した社を野神神社と名付けた理由が不可思議だ。
湖北や湖南の「野神さん」は湖西には見られない。
成安造形大学附属近江学研究所発行の『紀要 第1号』に掲載されている加藤賢治「宮座の祭礼 ~今堅田に伝わる祭礼『野神祭り』に見られる現状~」に、伊豆神田神社と野神神社が鎮座する今堅田はかつて漁業を生業とした小番城と、農業と船大工を生業とする出島からなり、伊豆神田神社は小番城の氏神で、野神神社は主として出島の氏神であったと考えられる。
とある。この石を積んだ「勾当内侍墓」は、湖東に見られる「山の神」や「野神」を思わせる。日野川や愛知川あたりの野神信仰が伝えられ、出島の農業関係者によって祀られた野神があり、それに勾当内侍の伝説が付加されたのだろうか?琵琶湖水上交通が媒介になった事も十分に考えられる。
『太平記』(巻第二十)では、勾当内侍は出家して嵯峨の往生院(現在の祇王寺)辺りに隠棲した事になっている。
神田神社
大塚山古墳などがある蔓陀羅山の遠望。
一ノ鳥居
二ノ鳥居
七所明神?
拝殿
不動尊
ここは堅田ではなく真野。真野川流域には今堅田の伊豆神田神社、これから訪れる「神田神社」、更に上流の宮池そばにも神田神社がある。
本殿
主祭神は
二宮
斎場
昔は田圃の中にポッカリ浮かんだ鎮守の森だったに違いない。