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六浦(寺前、町屋、洲崎、瀬戸、六浦)


寺前一丁目の金澤八幡神社

金澤八幡神社

通称、寺前八幡神社。
この辺りに八幡河岸と呼ばれる船着場があり、称名寺金堂の屋根を葺く桧皮を荷揚げしたという文献が金沢文庫に残っている。


金澤八幡神社

金澤八幡神社


福船山安立寺

安立寺

「船中問答」とは、智寂日省『本化別頭仏祖統紀』巻之十によると、下総国守護千葉氏の被官で八幡荘若宮に住んでいた富木常忍が、建長六年(1254)の夏、所用で鎌倉に向かうため、葛飾の浦から乗船したとき、日蓮聖人と乗り合わせ、共に鎌倉へ向かった船中での問答を言う。この問答で富木常忍は法華経に改宗する事になったという。但し出会いの場所や時期については異説もあって判然としない。
「船中問答」をした船が着いた場所は、この他に上行寺とする説もある。上記「金澤八幡神社」に記したように、この辺りに平潟の北の船着き場があったようなので、ここに着船したとしてもおかしくはない。しかし、富木常忍が鎌倉へ行くのであれば、南の上行寺あたりで下船する方が自然に思われる。


安立寺

安立寺


知足山龍華寺

龍華寺

龍華寺


龍華寺

龍華寺


真言宗御室派の寺院。源頼朝が恐らく上行寺東遺跡のあたり(より正確には、ライオンズヒルズ金沢八景のあたりか)に建てた浄願寺が前身寺院で、明応八年(1499)融辨が、兼務していた、この地の光徳寺と合併して龍華寺となった。

龍華寺

龍華寺


龍華寺

龍華寺


龍華寺

龍華寺


龍華寺

龍華寺


龍華寺

龍華寺


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龍華寺


龍華寺

龍華寺


龍華寺

不動明王堂


不動明王堂の狛犬は可愛らしい。

龍華寺

龍華寺


姫小島水門

姫小島水門

天明五年(1785)、「瀬戸内海」を干拓し新田開発を行う際、満潮時の海水の流入をせき止めるために造られた水門。現在のものは平成五年(1993)の再建。


姫小島水門

姫小島水門


瀬戸橋

平潟と瀬戸内海(瀬戸橋の西側の内海は主に近世の新田開発で干拓されてしまった。それ以前は、釜利谷交差点あたりまでが内海だった。)の間の瀬戸に最初に架橋されたのは嘉元三年(1305)。

瀬戸橋

瀬戸橋


瀬戸神社

瀬戸橋


瀬戸橋

瀬戸橋


瀬戸橋

近世には瀬戸橋のそばに3軒の料理旅館があったが、現存するのは「千代本」、昔は「千代元」と書いた。


瀬戸神社

瀬戸神社

瀬戸神社


源頼朝が伊豆國の三嶋明神(三嶋大社)を勧請した。主祭神は大山祇命と事代主神。「三嶋」の語源・意味は諸説あるが、私見では、伊豆諸島の火山島を「御島」としたか、或いは伊豆大島、新島、神津島など具体的な三つの島を指しているという説がもっともらしく思われる。

瀬戸神社

瀬戸神社


社殿よりも背後の崖の洞窟に目が行く。これらも「やぐら」か。

瀬戸神社

瀬戸神社


瀬戸神社

瀬戸神社


瀬戸神社

瀬戸神社


瀬戸神社

瀬戸神社


能の「放下僧」で仇の利根信俊が夢見が悪いと参拝に行く先がこの神社。

吼月山泥牛庵

臨済宗圓覚寺派の寺院。南山士雲開山。「泥牛吼月」という禅語がある。無心に・思慮を越えた境地といった感じだろうか?谷戸にあったが、享保七年(1722)に米倉丹後守忠仰が陣屋建てるためにこの地へ移転した。

泥牛庵

泥牛庵


泥牛庵

泥牛庵


上行寺

上行寺

上行寺


上行寺

上行寺


上行寺東遺跡

上行寺東遺跡

上行寺東遺跡


発掘地点の隣接地に復元されたもの。平地が少ない鎌倉周辺にしか見られない丘陵斜面に中世に造られた横穴式の墳墓や供養窟で「やぐら」と呼ばれている。

上行寺東遺跡

上行寺東遺跡


上行寺東遺跡

上行寺東遺跡


上行寺東遺跡

上行寺東遺跡


参考資料

  1. 『大日本地誌大系. 第8巻 風土記稿4』久良岐郡之二 金澤領
  2. 『新編武蔵風土記』巻百四十二 村里部 久良岐郡 二 金澤領