霞関山本覚院太宗寺
銅造地蔵菩薩坐像
閻魔堂
不動堂
寺でいただいたパンフレットによると、太宗寺は、このあたりに太宗という名の僧侶が建てた草庵「太宗庵」がその前身で、慶長元年(1596)頃にさかのぼると伝えられています。太宗は、次第に近在の住民の信仰をあつめ、現在の新宿御苑一帯を下屋敷として拝領していた内藤家の信望も得、寛永6年(1629)内藤家第五代正勝逝去の際には、葬儀一切をとりしきり、墓所もこの地に置くことになりました。これが縁で、寛文8年(1668)六代重頼から寺領7396坪の寄進をうけ起立したのが、現在の太宗寺です。 内藤家は七代清枚以後は歴代当主や一族が太宗寺に葬られるようになり、現在も墓所が営まれています。また「内藤新宿のお閻魔さん」「しょうづかのばあさん」として親しまれた閻魔大王と奪衣婆の像は、江戸庶民の信仰をあつめ、藪入りには縁日が出て賑わいました。現在も、毎年お盆の7月15 ・ 16日には、盆踊りとともに閻魔像・奪衣婆像の御開扉、曼荼羅・十王図・涅槃図の公開が行われています。なお、寺号「太宗寺」は、創建時の庵主太宗の名をいただき、山号「霞関山」は。当時四谷大木戸一帯が霞ヶ関と呼ばれていたことに因み、院号「本覚院」は内藤正勝の法名「本覚院」を拝しています。浄土宗の寺院です。
不動堂の裏に纏められた石仏群
西隣は「新宿御苑前聖陵」という自動搬送式の納骨堂ビルになっている。Webサイトには、承継者がいなくなったら、ここに合祀すると書いてある。
墓地
太宗寺の寺域は、現在は新宿区立新宿公園になっている本堂の北側一帯も含んでいたので、その西側部分に内藤家の約三百坪、五十七基の墓塔
があったのだろう。
個人のお墓の写真を勝手に撮るのは失礼だと思いながらも……。
墓石の中でも個性的な一基。宝篋印塔の上に何かを乗せた感じがする。