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米原

米原

米原市の中でも、この一帯が元祖米原。
現在でも東海道線は彦根駅から佐和山や弁天山の裾を回り込んで東にカーブしてから北上し米原駅に入る。これは西側に松原内湖や入江内湖(筑摩江)があったからで、米原の入江内湖は食糧増産のため昭和19年にはすべて干拓されてしまった。
16世紀までは天野川河口の朝妻湊が物流の中心だったが、17世紀初めに入江内湖の奥の米原駅付近に米原湊が、番場宿との間に深坂道が拓かれ東国と大津・京との物流は米原に移ってしまった。米原湊は松原湊・長浜湊と並び彦根三湊の一つで東国と大津の間の荷を扱う、長浜湊は北国と大津の間の荷を扱う、松原湊は軍事用中心で小型の早船を配備という棲み分けがされたようだ。


旧米原尋常高等小学校

現在は「坂田郡少年センター」になっている。

米原

米原


吸湖山青岸寺

青岸寺

青岸寺


青岸寺

左上の説明のように、青岸寺は14世紀後半に佐々木道誉が祈願寺として太尾山米泉寺を創建、16世紀初めの永正年間に戦火で焼失した後、彦根市河原にある青龍山大雲寺の要津守三(ようしんしゅさん)が井伊家の命で曹洞宗寺院青岸寺として再興した。


青岸寺

青岸寺


青岸寺

青岸寺


青岸寺

庭園は三世住持の興欣が玄宮楽々園の築造に関わった香取氏に依頼して作庭されたという。
枯山水だが水を白砂ではなく苔で表現しており、また建物側には回遊の道も付いているので通常イメージする枯山水よりは池泉回遊式庭園に近い印象を受ける。配置された多量の岩には圧倒される。


青岸寺

青岸寺


青岸寺

青岸寺


青岸寺

青岸寺


青岸寺


青岸寺

青岸寺


青岸寺

青岸寺


青岸寺

青岸寺


本堂

青岸寺

青岸寺


本尊の木造聖観音坐像

像内に「近江州坂田南郡箕浦庄内/米泉寺本尊聖観音像一尊也/願主隣溪庵主桂薗/当寺住侶良範/金剛仏子乗日/作者 三条門弟讃岐宝眼堯尊/永和二年丙辰八月十八日謹誌之」の墨書がある。(http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/katei/bunkazai/bunkazaisenshu/20070601kenshitei/shoukannon/index.html 確認)永和二年(1376年)造なのでまだ米泉寺の時代(永和は北朝側の元号)。この時期は既に足利三代将軍義満の時代で南朝は衰退している。讃岐法眼堯尊は京都三条の円派の仏師だという。

青岸寺

青岸寺


青岸寺

平安末期の作とされる木造十一面観音立像
光背がないが、どうしたのだろう。


青岸寺

青岸寺


青岸寺

青岸寺


金比羅神社

米原湊に金毘羅宮は相応しい。

米原

米原


米原

米原


米原

米原


湯谷神社

湯谷神社

湯谷神社


湯谷神社

湯谷神社


色々な神様が合祀されているが、上の説明のように湯谷神社は六所権現社で、地元の産土神で青岸寺の鎮守でもあり青岸寺境内にあった。神仏判然令で現在地に移された。下に写真がある「湯谷神社由緒」は更に詳しい。由来の概略は「主祭神の大己貴命(大国主)がこの地へやってきて村人に穴を掘らせたら霊泉が湧いたので土地を開墾して祀った。更に温泉まで出たが、馬を洗ったら枯れてしまった。この地は奈良時代から富永荘の十六・十七條だった。桓武天皇の時に大膳職御厨所の所管となったが、延久二年(1071年)に廃止され、後白河天皇の時に延暦寺に寄進された。そのため右下に写真がある山王権現社を土地鎮護の神として祀っている。」といったところ。富永荘は湖北の木之本・高月あたりにあったので、ここは飛地という事になるのか?入江内湖あたりに天智天皇の時に置かれたという筑摩御厨(つくまのみくりや)があり、朝廷に琵琶湖の水産物とその加工品を送っていた。筑摩御厨は桓武天皇の時に大膳職御厨所から内膳司の所管に移されている。この地はその時から大膳職の所管になったという事か?
不明な点はあるものの古くからの史料に記されている地域だという事がわかる。

湯谷神社

湯谷神社


湯谷神社

湯谷神社


湯谷神社

湯谷神社


湯谷神社

湯谷神社


湯谷神社

湯谷神社


湯谷神社

湯谷神社


湯谷神社

湯谷神社


米原曳山は旭山、松翁山、寿山の三基ある。米原曳山祭は10月に行われ、特に子供狂言が知られる。そう言えば醒ヶ井にもあった。

米原

米原


米原

米原


米原

米原


米原

町中にあった祠だが、車輪が付いていて移動可能というのが面白くて撮影。


大雄山西円寺

 
西円寺

 
西円寺


 
西円寺

 
西円寺


 
西円寺

 
西円寺


 
西円寺

 
西円寺


本堂
西円寺


米原市西円寺にある黄檗宗寺院。ご多分に漏れず、山門の末寺だったが近世に黄檗寺院として再建された。普段は無住とのこと。


近江稲荷
西円寺

 
西円寺


 
西円寺

本堂裏の庭園
西円寺


地蔵堂
西円寺

 
西円寺