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宇治川右岸(1)

興聖寺

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この石塔の相輪は浮島の十三重石塔のものかな?

伏見城から移築した血天井。伏見城の血天井は三十三間堂の東側にある養源院や鷹峯の源光庵などで見覚えがある。


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これらの杉戸絵も伏見城のものか?この寺の中では異質な華麗さ。

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修業の場ということで地味だが拝観させていただくに値する寺だ。本堂まで行って帰ってしまう人が多いけれどもったいない。

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浴室だが、現在も使っているから現代の風呂。洗濯機もあるし。


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琴坂。紅葉の名所だが、新緑も美しい。
朽木の興聖寺も尋ねてください。


恵心院えしんいん

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山門を抜けると放生池と本堂しかないが、奥にはガーデン・テーブルと椅子が二箇所くらい用意されている庭?があり、季節によっては花を楽しめそう。あんまり先まで行くと住宅の庭に入り込んでしまう。


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宇治神社

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菟道稚郎子命(うじのわきいらつこ)が営んだ菟道宮があったという場所。左の説明板を参照。

宇治上(うじがみ)神社

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国宝の拝殿


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桐原水。宇治七名水の一つ。

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本殿覆屋。現存最古の神社建築で国宝。中に内殿三社があり、各々菟道稚郎子命、応神天皇、仁徳天皇が祭神。
菟道稚郎子命は応神天皇の子だが、この応神天皇という人は不明な点が多く諸説ある。
その死後の皇位争い、譲り合いはどこまで史実かわからないが、宇治神社の説明板のように、日本書紀では菟道稚郎子命は自害して大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)ー後の仁徳天皇に皇位を譲った事になっている。そういう難しい関係の菟道稚郎子命と仁徳天皇が父の応神天皇と一緒に祀られているというのだから、いわゆる河内王朝が内紛にも関わらず結束していて欲しいという希望が感じられる。

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武本稲荷社。ここだけ伏見稲荷山のお塚の雰囲気。

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橋寺放生院

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左上の説明のように叡尊が放生会を催したのでこの名が付いた。
宇治橋の守り寺として聖徳太子の発願、秦河勝建立ということは、その頃には既に橋が架かっていたという事になるが…

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宇治橋断碑は当初のものは上部三十二分の九文字だけで、その下は復刻版らしい。
これには大化二年に道登という山尻(山背?)が出自の僧が発願し、賛同を得て橋を完成させたといった内容が書いてあるそうだ。