湖東三山
金剛輪寺 西明寺釈迦山百済寺
本坊
写真の正面は西南西くらいになってしまっている。ほぼ真正面が八日市。少し右手の樹の枝の上に太郎坊山。
僧房の跡。かつての隆盛を思わせる。上醍醐から西笠取へ行く道筋の僧房跡を思い出させた。
仁王門を望む。ここは二天門ではなくて仁王門。
本堂。
百済寺は聖徳太子が建立した?という。本尊は百済の龍雲寺本尊と「同木二体の姉妹仏」の「植木の」十一面観音。立木観音と似た発想だ。名前から言って百済から渡ってきた人たちがこのあたりに住み着いたのか。実際、滋賀県は大津京の辺りなど渡来人の足跡が大量にある。近畿地方の中でもすぐ雪が降る滋賀県だが冬の寒さは韓国に近いのかも。
本堂は入母屋造りの檜皮葺き。江戸時代の再建で、元は現本堂の裏手の一段高いところにあったが、現在そこは土砂が崩れてきていて平地とは言えないとのこ。再建を手掛けたのは、後に寛永九年(1632)幕府から作事方大棟梁に任ぜられた甲良宗広だった。大棟梁は、現代で言うと設計・施行全般を監督する立場だった。宗広は天正二年(1574)に甲良町法養寺に社寺建築を担う大工の家系である甲良家に生まれた。江戸で、江戸城天守などを手掛け、日光東照宮造営時に大棟梁となった。再建の本堂は慶安三年(1650)に完成したが、宗広は正保三年(1646)に亡くなっている。大棟梁の死後は甲良大工一門が引き継いで完成させたという事だろう。
本堂内の内陣と外陣の間は引違格子戸で、その前で閻魔大王が左右から赤白二人で?睨みを効かせているというのが面白い。
湖東三山は織田信長に焼き討ちされているので怨念は今でも強く残っている事を感じさせる「千年菩提樹」の説明。
本堂横の池の上に伸びた枝にはモリアオガエルの卵がいっぱい産み付けられている。
小野道風筆と言われる「下乗」石。
金剛輪寺 西明寺