大沢池から広沢池あたり
大覚寺・大沢池
名古曽滝跡
小倉百人一首五十五番滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
大納言(藤原)公任
千載集の詞書
「嵯峨大覚寺にまかりて、これかれ歌よみ侍りけるによみ侍る」
拾遺集では「滝の糸は」となっている。
広沢池へ
まだこんなところが残っていたと感激させられる風景。
北嵯峨八丈町、大沢落久保町、洞ノ内町といった大沢池と広沢池の間の畑。
案山子の隊列は実効はあるのかな?観光客向けサービスなのか?
1969年のこのあたり
モノクロなので古く見えるが、道路が舗装され、家が新しくなったくらいで、景観がほとんど変わっていないのは有り難いことだ。
広沢池
ロータリークラブが立てた「千代の古道」の石碑。
「ちよのふるみち」と読むようだ。平安時代に皇族、貴族が嵯峨へ行くときに通った道と言われる。嵯峨天皇の離宮として造営された大覚寺は鎌倉、南北朝と歴史の舞台となったので、むしろ中世に行き来する機会は多かったのだろう。
12月の広沢池に水はほとんどない。
水を抜いた池で12月6日から春に放した養殖の鯉の「鯉揚げ」が行われた。
水を湛えるとこんな具合。