泉谷山西寿寺
1627年(寛永4年)北出嘉兵衛が袋中上人を請じて念仏道場を建立したのが起りと伝わっています。当初の建物は荒廃しましたが、1660年(万治3年)愚故上人が再興した本堂が今も残ります。
(http://saijyuji.jimdo.com/%E8%A5%BF%E5%AF%BF%E5%AF%BA%E7%B8%81%E8%B5%B7/ 2014/10確認)
名古屋の豪商、岡谷惣助(代々惣助を名乗っているが何代目だろう?)が建てた地蔵菩薩の石碑。下に写真がある石塔寺を模した石塔の碑にも名前が出てくる。
かなり信心家だったようだ。
本堂
上記のように万治三年(1660)に建てられた。
本尊の丈六阿弥陀如来坐像は、甲南の新治にあった新宮寺のものだったが、新宮寺が荒廃した後は善願寺に安置されていた。それを愚故上人が買い取って西寿寺の本尊とした。この阿弥陀如来像は、正月三ヶ日、春秋の彼岸、8月前半に公開され拝観可能とのこと。
これは石塔寺の石塔じゃありませんか!右下の碑によると西寿寺復興紀念塔だという。
岡谷惣助、吹原九郎三郎、伊藤次郎左衛門と思しき明治時代名古屋の錚々たる豪商が名を連ねている。
三光石神社
寺の鎮守。創建時に太陽、星、月が現れ、それらを彫った三光石が御神体という。
木賊葺きということで厚くて確かに頑丈そうだ。細い竹のような植物のトクサではなく、板葺の中でも厚いものを指す。
双ヶ岡が並んでいるのがよくわかる。