Up
Down
Return

岩根山善水寺

長寿寺、常楽寺と共に「湖東三山」として売り出しているが、これは2006年(平成17年)から始まったこと。
JR草津線、野洲川を挟んで善水寺だけ北側にある。しかし、三寺共に国宝の本堂を持ちレベルは高い。

Zensuiji temple

Zensuiji temple


寺のパンフレットによると和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。延暦年間伝教大師最澄上人、比叡山を開創され、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められた。材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、いざ流し下す段になったが日照り続きのため為、河水少なく思うように材を流すことができなかった。大師、請雨祈願のた為、浄地を探されたところ、岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光に誘われるまま当地に登られた。山中に堂、その東に百伝池あり、池中より一寸八分、閻浮檀金(えんぶだんごん)(閻浮樹の森を流れる川底からとれる砂金)の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として請雨の祈祷を修すること七日間、満願の日に当たって大雨一昼夜降り続き、流の勢いのまま、材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したと云う。閻浮樹は閻浮提にある大森林。閻浮提は須弥山の周囲にある四大洲の一つで須弥山の南にある。

Zensuiji temple

Zensuiji temple


国宝の本堂。本尊は秘仏の薬師如来。左右、裏側にに梵天、帝釈天、四天王、十二神将などの立像が安置されている。貞治五年(1366)再建。礼堂(外陣)が広く感じるのは中央の二本の柱がなく、三間巾の虹梁(こうりょう)を渡して支えているから。また、蔀戸(しとみど)になっており、公家邸的な雰囲気を出している。失われた仁王門から移された仁王像が礼堂の左右に立っている。

Zensuiji temple

Zensuiji temple


寺のパンフレットより:桓武天皇御悩の際、大師(最澄),霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝(いおおぜんぜい)の秘法を修すること七日、満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒された。この縁に依って岩根山善水寺の寺号を賜わったという。雨乞いも病平癒も七日間の祈祷は必要なようだ。医王善逝の善逝は仏様の事で、通常は薬師如来を指す。

Zensuiji temple

Zensuiji temple


Zensuiji temple

六所権現。伊勢、春日、八幡、賀茂、熱田、鹿島をまとめて祀っているという便利な社。


Zensuiji temple

行者堂。明治時代に神仏分離令で廃寺になってしまった飯道寺(はんどうじ)の岩本院の行者堂を移築したもの。飯道寺は飯道神社の神宮寺で修験道の寺として栄えていた。明治二十五年(1892年)に水口の本覚院が寺号を飯道寺に改め復興した。岩本院は当山派(真言宗系修験)だが、この天台寺院へ移された事情は、そんな事には構っていられないくらい切迫していたという事だろうか。


 

元三大師堂。等身大の元三大師良源の像を祀っている。


Zensuiji temple

Zensuiji temple


岩根山車谷の磨崖不動明王

岩根山車谷の磨崖不動明王

岩根山車谷の磨崖不動明王


岩根山車谷の磨崖不動明王


Konan

Konan