安土(2)
安土城跡・摠見寺
安土城跡は国の特別史跡だが、山全体が摠見寺の固定資産という事もあり、大手道の麓で入山料を支払う。
大手道
伝羽柴秀吉邸跡。安土城考古博物館にここの復原模型が展示してある。
下の厩があったと言われる部分と上の邸部分ではかなりの高低差がある。
伝徳川家康邸跡に建てられた摠見寺仮本堂
石段に流用された石仏。大和郡山城を思い出させる。
黒金門跡。石垣の石がひときわ大きい。
石垣に使われていた仏足石。
信長公御廟
特定の宗教・宗派を思わせない不思議な形の廟だ。天正十一年(1583年)に羽柴秀吉が廟を築き法要をおこなったという。但し、現在見られる廟が当初のものなのかは疑問がある。
国を護る「
天主台だけでなく台所跡よりも低い位置の本丸跡。
天主台跡
以外に狭いという印象だが、左上の説明にあるように、ここは地下一階部分。天主台はこの2.5倍の広さがあったという。
天主台からの眺めは、270度以上の視野の範囲が琵琶湖やその内湖なので水に囲まれているように見えただろう。
摠見寺
遠景山摠見寺は臨済宗妙心寺派の寺で、織田信長が建立した。当初は真言宗だったようで、17世紀(寛文八年(1668年)らしい)に臨済宗に改宗した。織田信長がこの寺を建立した意図は、織田家の菩提寺とする見解がある一方、天主台の「盆山」遥拝所だった、ルイス・フロイス『日本史』を根拠に本堂二層目に「盆山(梵山?)」が安置されていたなどの見解もある。本堂は、恐らくどこかの寺院から移築されたものだろうが、当初の一層の本堂は二層に改修されている。現在の仮本堂の御本尊は聖観音像だが、安土城が存在した当時の本堂の御本尊はわかりようがない。
本堂などは安政元年(1854年)に焼失した。
阿星山長寿寺から移された三重塔。
二王門
説明板に甲賀郡から移築されたとある。
老蘇の森・奥石神社(鎌宮)
森を切り裂くように東海道新幹線の線路が通っている。
勧請縄
織田信長が天正九年(1581年)に建立させた本殿は国の重文。
諏訪社
老蘇の森に入ってみる。
それほどの老木、巨木は見られない手入れされた杜。
"東路の 思ひ出にせむ 郭公 おいその杜の 夜はのひとこゑ"(大江公資 『後拾遺集』夏)
"物を思へば夜間にも、老蘇森の下草に、駒を止て顧る、古郷を雲や隔つらん。"(『太平記』巻二「俊基朝臣関東下向」)
"さのみ年経ぬ身なれども。衰は老曽の森を過ぐるや美濃尾張。"(能『盛久』上歌)
本殿の真後ろにあたるところに盛り土というか塚のようなものがある。
老蘇に蛍を戻そうという事業が行なわれている。
奥石神社は繖山の磐座の遥拝所が起源ではないかと言われる。
繖山の観音正寺が遠望できる。