Up
Down
Return

護王神社のイノシシ

護王神社は和気清麻呂とその姉の和気広虫を主祭神としている。
和気清麻呂は神護景雲三年(769)の宇佐八幡宮神託事件(道鏡天位託宣事件)で有名な人。
日本後紀によると「清麻呂は宇佐八幡へ向かう途中、足が萎えて起立できなくなってしまった。豊前国宇佐郡"しもと田村"に来ると300頭ほどの野猪が道をはさんで列をなしゆっくり歩いて十里ほど前駈し山の中に入った。これを見た人は異な事と思った。神社に参拝の日には歩くことが出来るようになった。」といった記述がある。
この伝承から狛イノシシとなったようだ。
明治十九年(1866年)に神護寺から移された。



手水舎は龍が多いがここはやはり猪。

座立亥串(くらたていぐし)。
猪と願い事を描いた紙を挟んである。


 

いのししコレクション。





イノシシつながりで、摩利支天堂の狛猪

雨宝院の御衣黄桜(ぎょいこうさくら)

花びらの色が緑からピンクに変わる不思議な桜。
北向山雨宝院は今出川智恵光院の北にある真言宗の寺院。
本尊は大聖歓喜天像。観音堂の千手観音立像は、むっちりとした腕が女性的な平安時代中期頃?作で、国の重要文化財(00786)。

雨宝院

雨宝院


光照院

同志社大学新町キャンパスの北。「持明院仙洞御所跡」と石柱が立っているが、説明板に書いてあるように、持明院は鎮守府将軍にもなった藤原基頼(長久元年(1040年)~保安三年(1122年))が邸内に建てた持仏堂の名で、この持明院家から後堀河天皇の母の陳子が出た。その持明院は、この光照院あたりにあったらしい。第八十六代後堀河天皇は譲位後、持明院内を仙洞御所とし、第八十八代後嵯峨天皇・第八十九代後深草も持明院殿内に住んだことにより、後深草から後小松までの系統を持明院統と言う。後嵯峨天皇は寛元四年(1246年)に後深草天皇へ譲位し上皇として院政を敷いて後深草天皇の弟を皇太子とした。これにより後深草天皇が譲位した時、その弟が第九十代亀山天皇として即位した。上皇となった後深草と亀山天皇の系統が、それぞれ持明院統と大覚寺統と言われ、両統迭立の時代が始まった。これは南北朝の北朝と南朝へとつながる。

光照院

光照院


誉田屋こんだや源兵衛社屋

室町通三条下る西側。西陣帯の製造・販売の会社。建物は大正時代の築だという。

誉田屋源兵衛株式会社

誉田屋源兵衛株式会社


誉田屋源兵衛株式会社

誉田屋源兵衛株式会社


誉田屋源兵衛株式会社

誉田屋源兵衛株式会社


誉田屋源兵衛株式会社

誉田屋源兵衛株式会社


誉田屋源兵衛株式会社

誉田屋源兵衛株式会社