坂本
日吉東照宮
徳川家康の側近として政治的裏工作にも絡み、家光の時代には上野の東叡山寛永寺を創建した天台宗の僧、慈眼大師天海が家光の援助で元和九年(1623年)に造営した。従って、そもそもは延暦寺の末寺という位置付けだったが、明治初期の神仏分離令で日吉大社の末社となってしまった。日吉大社としても迷惑だったのか、なんとなく孤立した感じの景色になっている。
元和三年(1617年)に造営された久能山東照宮に続く日吉東照宮の権現造は、この後日光東照宮へつながる。日光東照宮は寛永13年(1636年)からの家光による「寛永の大造替」で現在見られる姿になった。
律院
昭和二十四年(1949年)、安楽律院住職だった叡南祖賢が、安楽律院焼失の後、松禅院跡に創建した。松禅院は横川の里坊だった。現在、松禅院は飯室谷にある。
白鬚延寿尊
思わぬところで白鬚神社と思ったら、石灯籠の「本地不動明王」のとおり、不動明王を祀ってあった。
別当大師堂
市殿神社
旧白毫院の洞窟
旧竹林院
六角地蔵堂
実は「早尾地蔵尊」なのだそうだけれど、早尾神社に地蔵堂があるわけにはいかなかったのが、明治初期の雰囲気だっただろう。
左の案内板のとおりだとすると、恐らく早尾神社よりも歴史は古い。
早尾神社
日吉大社の中七社の一つの摂社。延暦寺への表登山道「本坂」の入り口脇にあるので、これから上る人の安全を守る神様だったのだろう。現在の祭神はスサノオだが、かつてはサルタヒコだったという。
走井大師堂(比叡山求法寺)
大師堂手前から見た八王子山。
日吉大社の拝観料を払う受付手前あるのがお寺というのもおかしいが、これが神仏習合の自然な形だろう。
お堂で買った小冊子の中の走井大師縁起に「
その走井のいと清き水はいかなる汚穢をも洗い…」とある。
天台第四代座主の安恵和尚は別房をここに創給いたり
、慈恵大師良源が初めて登山し給いたる時、まずこの御房へ行き向い給い
は左に書いてあるとおり。
波止土濃が橋殿と書かれるようになったのはわかるが、走井という名はやはりここに勢いよく流れる泉があったからではないかという感じがする。