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唐崎・穴太

唐崎苑

唐崎の松と唐崎神社

唐崎の松と唐崎神社


唐崎の松と唐崎神社

唐崎の松と唐崎神社


唐崎の松と唐崎神社

県営の都市公園湖岸緑地となっているが、説明板によると、
昭和10年:オランダ人が別荘を建てる
昭和19年:海軍航空隊が買収
昭和29年:同志社大の唐崎ハウス
平成7年:県立公園となる
島根県安来市にある足立美術館や城南宮の庭園を造った中根金作が作庭した庭園だという。
さざ波の 志賀の唐崎 さきくあれど
 大宮人の 船まちかねつ

『万葉集』にある柿本人麻呂の歌牌


唐崎の松と唐崎神社

唐崎の松と唐崎神社

【近江八景】
中国湖南省の洞庭湖あたりの景色を描いた「瀟湘八景図」になぞらえたもの。

  1. 石山秋月
  2. 勢多夕照
  3. 粟津晴嵐
  4. 矢橋帰帆
  5. 三井晩鐘
  6. 唐崎夜雨からさきのやう 広重近江八景国立国会図書館デジタルコレクション
  7. 堅田落雁
  8. 比良暮雪


唐崎の松と唐崎神社

唐崎の松と唐崎神社


唐崎の松と唐崎神社

唐崎の夜雨の松は三代目。
二代目がえらくご立派だったので、まだ及ばないと言われているが、それでもなかなかのものです。


唐崎の松と唐崎神社

唐崎の松と唐崎神社


唐崎の松と唐崎神社

唐崎の松と唐崎神社


この本殿は入母屋造平入りの正面の向拝と同じような形状の庇が他三面にもあって、どこからでも拝めますといった感じになっている。

向かって左

向かって右


唐崎の松と唐崎神社

唐崎の松と唐崎神社


唐崎の松と唐崎神社

唐崎の松と唐崎神社


北国海道(西近江路)にある白鬚神社への道標。


日吉大社神馬仮屋。


メリノール宣教会が1936年に購入し、現在はメリノールハウスの敷地内だが、かつては実業家の邸宅だったらしい。唐崎苑と同様、琵琶湖の眺めが抜群のロケーション。




穴太廃寺跡


7世紀頃の寺院跡で、左上の説明にあるように二期の伽藍配置が見つかっている。第二次伽藍は大津宮の造営・遷都に合わせて造られたらしい。中心的な部分は西大津バイパスの下にあるという。


北国海道にある坂本六地蔵の一つ。ここから北は坂本。



室町幕府第12代将軍足利義晴がここで亡くなったという供養塔?(石碑)


高穴穂宮たかあなほのみや跡伝承地。伝承は伝承として大切です。
『古事記』中卷に、若帶日子天皇(わかたらしひこのすめらのみこと)=成務天皇、坐近淡海之志賀高穴穗宮、治天下也。とある。『日本書紀』では、巻七の景行天皇五十八年に、春二月辛丑朔辛亥。幸近江国。居志賀三歳。是謂高穴穂宮。、更に景行天皇六十年、冬十一月乙酉朔辛卯。天皇崩於高穴穂宮。時年一百六歳とある。


高穴穂たかあなほ神社



景行・成務・仲哀天皇の高穴穂宮の跡というのだが、いずれも実在性には疑問符がつく。



寶光院

応仁の乱の時に京都市左京区の真如堂がここに避難していたそうで、そのために「元真如堂」と書いてある。


盛安寺

穴太積みの石垣。
盛安寺は天台真盛宗の寺で、越前朝倉氏の家臣杉若盛安が再興したのでこの名がある。






聖衆来迎図を表現したという客殿前の庭園(県指定の名勝)。客殿(重要文化財)は伏見城の遺材で、室内の障壁画は長谷川派のものという。



明智光秀の陣太鼓があるとか。



崇福寺伝来とされる平安時代の作とみられる十一面観音立像は四臂。二臂は正面で合掌、右のもう一臂は錫杖を持ち、左は仏花を持っているという珍しい姿。
但し錫杖と仏花は後世のもののようだ。



穴太野添あのうのぞえ古墳群

園城寺北院の北から日吉大社東本宮あたりの山麓には、前方後方墳と言われる皇子山古墳のような前期末古墳もあるが、百穴古墳群、桐畑古墳群など渡来人系のものとみられる副葬品が出土した古墳(個人的には墳墓という方があたっている感じがする)が多数存在する。
ここの古墳群は眺めが良い琵琶湖に突き出す尾根に造られている。





4月14日、日吉山王祭の船渡御の御座船が出る七本柳の乗船場の鳥居が見える。

 


高穴穂神社御旅所