日野川右岸を遡る
近江八幡市東横関町
日野川を挟んで東横関と西横関の集落が中山道に沿って並んでいる。ここは横関川の渡しで、日野川はここらでは横関川と呼ばれていたらしい。そのような場所なので単なる農村ではなく、中世には横関商人が活動していた。
『滋賀県の自然神信仰』によると、祭礼は旧暦六月第二申の日。石碑は昭和十年に耕地整理したときに建立されたという*4。
祭神は與居登魂尊(こことむすびのみこと)。『日本書紀』の天児屋根命のことで、奈良の春日大社主祭神四神の一神。
浄土寺町
浄土寺町の野神
浄土寺の野神は、日野川の河川敷にあったところ、護岸工事のために現在は堤の外に移されている*1。
浄土寺と林の天神社
浄土寺と林(蒲生郡竜王町)は、元は一つの村で集落が近かったという伝説がある。その頃は日野川が小さな川であったのが、川幅が広がって今のように別の村になった。それゆえ氏神は今も浄土寺にあるという。確かに氏神の天神社は、日野川東岸の浄土寺地先にあり、かつては庄を加えた三か村の氏神であったのが、明治維新後は二社に分かれた。両社は並んで建てられ、浄土寺は西社、林は東社を祀っている。雪野山の草山や用水をめぐる争論が氏神を分ける原因にもなったと推測されるが、村名は、すでに中世に見える(『日本歴史地名大系第二五巻滋賀県の地名』平凡社)ので、「元は一つの村であった」とはいつ時代のことを指しているのかわからないが、現在も同じ所に神社があることから、そう考えられるようになったのかもしれない*1。
新巻町
日吉神社
創祀年代不詳であるが、往古より新巻町の産土神で、御神像裏書銘に元応二年二月九日と記されている*3。
元応二年は西暦1320年。
近江八幡市新巻町は雪野山・雪野山古墳への南(南西)側の登山口。反対側の北(北東)の登山口、東近江市上羽田平石と向き合う位置になる。
新巻町の野神
八月二の申の日にノガミサンの行事が執り行なわれる。(中略)供物の中では.米粉を水で溶いて小判状に整えたものを柿の葉乗せて乾かしたものが特徴的であるこれは地元では「牛の舌」と呼ばれている*2。
地元の方のお話では、圃場整備前は田圃の中のモリに祀られていたという。また、雪野山への登山道の途中の大木のそばに山ノ神が祀られているという。
- *01 滋賀県教育委員会文化財保護課編『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007 166~167頁
- *02 橋本章『近江の年中行事と民俗』 サンライズ出版 2012 183~184頁
- *03 滋賀県神社庁―神社紹介 (http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=327 2020.07.06)
- *04 滋賀県教育委員会文化財保護課編『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007 165頁