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新薬師寺

華厳宗寺院。『東大寺要録』本願章第一では「十九年丁亥三月。仁聖皇后。縁天皇不予。立新薬師寺。造七仏薬師像。」とする。天平十九年(747年)のこと。同書には、その後の大風による倒壊や火災の記録が点々と記されている。

 

南門:鎌倉時代


新薬師寺

新薬師寺


本堂

元々は本堂ではなかったらしいのは、外観からも想像がつく。創建当初からの建物。

新薬師寺

新薬師寺


東門:鎌倉時代


新薬師寺

新薬師寺


鐘楼:鎌倉時代

新薬師寺

新薬師寺


新薬師寺

五重しか残っていない実忠の十三重塔。
実忠は東大寺二月堂の修二会(お水取り)を始めたと言われる。島ヶ原の鸕宮神社もご参考に。


光背に十王を刻んだ十王菩薩。
簡単に言えば地蔵尊。


新薬師寺

新薬師寺


新薬師寺

新薬師寺


香薬師堂

新薬師寺

新薬師寺


新薬師寺

『東大寺要録』に「新薬師寺亦名香薬寺」とあるが、香薬寺、香薬師寺、香山寺とか香山堂と書かれている寺/御堂と新薬師寺の関係は明らかではない。だからこそ、この香薬師堂や、昭和十八年に盗まれたまま未発見の香薬師立像の由来は気になる。
万延二年(1861年)に大仏西門前(南都) の絵図屋庄八から発行された『南都名所記』には、御長三尺余とある。像高は73cmとの事で、台座があったとすれば三尺余≒約1mと考えれば辻褄が合っている。本堂に香薬師のレプリカが置かれているが、これは石膏模型を用いて昭和二十五年に鋳造された三体の内の一体だろう。下の久野健氏の文によると、三体の内、一体は奈良国立博物館、もう一体は鎌倉の東慶寺にあるという。


香薬師

 

香薬師

左の写真は平成九年に頒布されたレプリカで、本物の像高が73cmなのに対し60cmと若干小振りになっている。


鏡神社

鏡神社

鏡神社


鏡神社


鏡神社

鏡神社


鏡神社

火雷天神社
下の「鏡神社小誌」によると、不空院(福井の大師)境内にその御陵(御霊?)があるのを配祀したものと思はれる。とある。
春日山不空院は新薬師寺の北東にある真言律宗の寺。不空院→福院→福井之大師となったらしく、福井市/県とは無関係。かつて八角円堂があり、これは発掘調査で確認されたらしいが、これが興福寺南円堂の試作だったとか、本尊の不空羂索観音が興福寺南円堂不空羂索観音の「試みの観音」とかは、どちらが先なのか判断しにくい。とにかく不空羂索観音坐像は、なかなかの優品。


唐津の鏡神社を新薬師寺の鎮守として(大同元年に?)勧請したもの。唐津の鏡神社は神功皇后が奉納した鏡を祀るが、藤原広嗣の乱で処刑された藤原広嗣も祀っている。藤原広嗣は怨霊になったと見做され、従ってここへの勧請は怨霊信仰の早い時期の例なのかもしれない。

鏡神社