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高月町の野神さん(2頁)

洞戸ほらどの野神さん

県道281号線から洞戸の集落へ北に上がると延命地蔵堂がある。

洞戸

洞戸


地蔵堂を右折(東へ)し、柵の切れ目から山に入る。

洞戸

洞戸


高月町で唯一洞戸の「野神さん」だけは「山の神」との親近性を感じさせる。

洞戸

洞戸


洞戸

洞戸


洞戸

洞戸


洞戸

洞戸


洞戸

洞戸



洞戸

集落のメインストリートを上がった突き当りには日吉神社。


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雨森・保延寺の野神さん

雨森・保延寺の野神さんは雨森と保延寺の境界のすぐ南にある雨森観音堂の北東角にある。
保延寺が男神、雨森が女神だそうだが、木は一本なので二神とも、この木を依代にしているという解釈なのだろう。
この形態になったのは昭和30年以降。それまでは高時川左岸の竹やぶに雨森の野神さんがあったが、川に削られ流されてしまったので、ここになったという(雨森まちづくり委員会編『ふるさと雨森』雨森区発行 2000)。当時は、高時川左岸まで、雨森と保延寺まで各々別個に川を渡ったという。

雨森

雨森


保延寺


2018年9月の台風21号の強風で枝が折れてしまった。

雨森

雨森


雨森

雨森


雨森

雨森


雨森

雨森


保延寺の観音堂

保延寺


無理矢理神仏分離したのが見え見えの境内。

保延寺

保延寺


高月町雨森あめもり 天川命あまがわのみこと神社のイチョウ

天川命神社

天川命神社


天川命神社

天川命神社


天川命神社

天川命神社


天川命神社

天川命神社


東アジア交流ハウス雨森芳洲庵

雨森芳洲庵

雨森芳洲庵


雨森芳洲庵

雨森芳洲庵


雨森芳洲庵

雨森芳洲庵


雨森芳洲庵

雨森芳洲庵


現在の高時川頭首工の少し上流に「餅の」という堰があった。昭和十五年(1940年)まで約400年続いた緊迫した雰囲気の中で行われる「餅の井落し」で知られている。餅の井から取水した水は現長浜市小谷丁野町・小谷郡上町、湖北町伊部・二俣・河毛・山脇、長浜市中野町・下山田など小谷山西麓、西南に送られていた(その南は田川、平野川が用水を供給していた。)。高時川左岸の高月町一帯は餅の井の下流から取水していたので、渇水時に餅の井の堰を壊して右岸への取水を増やす必要があった。両者の武力衝突を回避する儀礼が「餅の井落し」だった。雨森の集落は高時川の右岸(琵琶湖側)が中心だが左岸(山側)にも広がっていたため、渇水時に行われた餅の井落しには参加せず、紺の法被に⿊帯、樫の棒を持って付近の⼭陰に潜んだという*6。昭和十七年に合同井堰が完成し、抜本的には国営湖北農業水利事業が昭和四十年に着手され、昭和六十二年に完了した。琵琶湖の水を余呉湖へ揚水し、余呉川、高時川、更に草野川(草野川は姉川と合流し、その姉川は高時川と合流し琵琶湖に注ぐ)を導水路でつなぐという大事業だった。
雨森の「野神さん」は、高時川の左岸にあったが、瀬や堤防の移動で、保延寺との境に近い現在地に変更された。

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高野の野神さん

高野の野神さん

高野の野神さん



雨森を南北に通り抜ける北国脇往還からまっすぐ東に来た集落の入口に高野の野神さんは立っている。
野神祭は8月17日に行われる。郷廻りとして松明を持って畦道を歩くが、これが虫を燻す虫送りの行事らしい。


天比比岐命神社あまひびきのみことじんじゃ

延喜式神名帳に記載されている古社。丸山城跡。

天比比岐命神社

 

高野で関心をそそられるのは『高月町の地名』に見いだせる小字山神(山ノ神)*24 pp89,95。天比比岐命神社周辺と思われ、「山講の祭祀をした」と書いてある。

高月町高野 高野大師堂・高野神社

高野大師堂

高野大師堂


高野大師堂

高野大師堂


高野大師堂(満願寺)

満願寺は『己高山縁起』で惣山之七箇寺の一つとされている。

高野大師堂

高野大師堂


高野大師堂

高野大師堂


高野大師堂

高野大師堂


 

高野神社


高野大師堂

高野神社


寺は高野の集落の東の端・山側の突き当りに位置している。
国の重文である大師堂に安置されている木造の坐像は最澄の像という伝承だったが、像内の墨書から弘安六年(1283年)に院信によって造られた良源の像であることが判明した。院派の七条大宮仏所系に属する院信は室町時代の人物なので、いわゆる"後銘"か、別の院信なのか、造像年が誤りなのか疑問を感じる。


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