山東町(現米原市)の野神さん
万願寺(旧東黒田村)
山麓と田地の境という立地の野神さん。正面の大きな木の脇に祀られている。
『山東町史 別編』*1によると、9月15日に野神祭りが行われる。大きな岩は昭和六十一年に整備されたものという。トーヤの家からここへ向かう途中で何度か「エンマンヨー エンマン(円満) エンマン エンマン」と扇をゆっくり振り下ろす「神招き」をする。トーヤは新婚の男が担うので、新婚夫婦の円満祈願ということらしい。子供相撲も行われるという。
長岡(旧東黒田村)
市民体育館の裏側(ルッチプラザ側)に山へ入る坂道がある。
坂を上ると「野神平」と呼ばれる狭い平地に出る。
「元来長岡には四社の野神ありしが、今は村の西北なる愛宕の小丘の嶺を野神平といひ、古への四野神を之れに合祀せり(古へは琴岡山と原毛の麓と大場山の麓なり)老松樹四五樹丘地を遶り生ずるの外、社殿の設なし、古来祭禮は七月二十六日に定まりしが、明治三十六年改めて九月十五日とせり、祭禮の順序は長岡の村を四組に分ち、毎歳一組づゝ當番にて、神事の準備を爲す」*10と『近江坂田郡志 下』にあるが、『山東町史 別編』*2によると、9月15日に2月17日に行われるオコナイのトーニンが祭主となって野神祭りが行われるとあり、体育館の方の話では、今年(2016)も行われたという。この祭場へ向かう途中で何度か「ホージョー(豊穣) ホージョー ホージョー」と扇をゆっくり振り下ろす万願寺と同様の「神招き」が特徴的。
石柱は昭和五十年建立なので、本来は木とその根元に置かれた複数の石だったことがわかる。
2018/06
ぎりぎりの所まで斜面を削られてしまっている。
西山(旧東黒田村)
『山東町史 別編』*3には、「もと小字木の下に祀られていたが、昭和二十年に八幡神社に合祀されている。」とある。
八幡神社社殿の向かって左側に位置する。
加勢野
『滋賀県坂田郡山東町村落景観情報 』*4の地図は、これが野神だとしている。『山東町史 別編』*3には、小字野上に馬頭観音をご神体として祀られている。
とあるのだが、この場所の小字名は未確認。石祠の中に祀ってある石仏は馬頭観音ではなさそうだ。移された可能性がある。
志賀谷(旧東黒田村)
集落の南、山と田地の境の山裾という典型的な立地の野神さん。木の根元に石仏が置いてあるが、木が依代と考えてよいのだろう。
祭礼は8月26日に志賀神社前で行われる*5。子供相撲も行われる。
大野木(旧柏原村)
西のノガミ。10月10日(旧暦では9月10日)に西大野木の人たちが祀るという。牛がいた時代は、ここに連れてきて白蒸を食べさせたという。
石祠の中にお地蔵さん。
石祠の背後にあった木は枯れてしまったようだ。
『山東町史 別編』*6には東のノガミは『元ノガミサン』ともいい日本ガスケット滋賀工場敷地の西隅一畝ほどの石垣で囲まれた土地がこれにあたる。
という記述がある。石垣が見当たらないが、この巨木だろうか。
東のノガミ跡???『滋賀県坂田郡山東町村落景観情報 』*7の地図だと日本ガスケットの工場と道を挟んだこの角に東のノガミさんがあることになるのだが、そうすると現在はもうなくなってしまった事になる。
清滝(旧柏原村)
『滋賀県坂田郡山東町村落景観情報 』には集落の北のはずれにあり。古墳かとも思われる
*8とあるが、あまり古墳という感じはしない。
祭礼は7月2日のノヤスミ(野休み)の日
*9に行われる。
- *01 山東町史編纂委員会編『山東町史 別編』(山東町 1990)211~212頁
- *02 市立長浜城歴史博物館編『滋賀県坂田郡山東町村落景観情報 』(市立長浜城歴史博物館 2005)209~211頁
- *03 『山東町史 別編』216頁
- *04 『山東町史 別編』66頁
- *05 『山東町史 別編』212頁
- *06 『山東町史 別編』214頁
- *07 『滋賀県坂田郡山東町村落景観情報 』34頁
- *08 『滋賀県坂田郡山東町村落景観情報 』37頁
- *09 『山東町史 別編』213~214頁
- *10 滋賀県坂田郡役所/編『近江坂田郡志 下』賢美閣 1812 441頁