小椋神社
御旅所
JAレーク大津仰木出張所の駐車場。隣に虚空蔵堂がある。
小椋神社の鳥居
山地神社前交差点斜め向かいに立つ滝壺大神(奥社)への道標
山地神社
地蔵盆のあと。
本殿の主祭神は
闇龗神は『古事記』ではクラオカミ。ホノカグツチ(火之迦具土神)を生んだためイザナミが死んでしまい、イザナギは劒でホノカグツチを切る。その時、劒先に付いた血が石に走りついて三神が生まれ、劒の元に付いた血からも三神が生まれ、次に劒の柄に溜まった血が手からこぼれてクラオカミとクラミツハが生まれた。こういう血なまぐさい生まれの神だが、どういうわけか水の神とされている。
ここから更に仰木峠の方へ上った滝壺神社に祀られていたクラオカミを源融が小椋神社として遷した。そのクラオカミは丹生川上神社から大津京遷都の時に勧請されたものだとされる。現在、丹生川上神社三社のうち、丹生川上神社上社と丹生川上神社下社の祭神が闇龗神。(丹生川上神社(中社)は
延喜式内社
拝殿の奥に若宮神社と大宮神社が並ぶ。惟喬親王がイザナミを大宮明神として祀ったとされる。歴史的には大宮明神がここに先住権がある。京都周辺の山村には貴種流離譚の代表とも言える惟喬親王を祀る神社があちこちにある。
拝殿
大宮神社、若宮神社の背後の瑞垣
初代一の鳥居
御霊社
本殿
昭和二十年に小椋神社と解消し一時的に県社の社格を得たが、それまでは田所神社だった。延喜式の小椋神社に比定されている事を受け入れれば小椋神社の名は相当に古いが、「小椋」からは君ヶ畑を連想させる。仰木は現在の県道47号線で伊香立と結ばれ、伊香立は途中を経由して朽木につながる。朽木の西側の山々は木地山峠という名が残るように木地師が活動した一帯である。そういった繋がりを想像させる社名でもある。
「田所神社」の扁額
本殿脇の瑞垣
たわむれ河原。賽の河原?
塚本神社、多賀神社
本殿の左右には菅原社、春日社
お稲荷さん
神明神社、今宮神社、新宮神社
今宮・新宮社背後の滝
龍宮神社
子安神社
水神籤
今宮・新宮社背後の滝から流れ落ちた水が境内を突き抜けるように流れる趣向になっている。
覚性律庵
享保元年(1716年)に得善近住が庵を結んだのが始まりという。
昭和四十五年(1970年)に千日回峰行を満行した光永澄道大阿闍梨(1935-2005)が再興した。
道路から、この石段を上がる。
地蔵堂
洗心寮
大黒殿
その他、多目的集会所のように使われるらしい。
水かけ不動
本堂(大雄殿)
奈良薬師寺の摩利支天堂を移築したものという。
愛染堂(法雲堂)
妙見堂
不動堂
阿弥陀堂?
庫裏