紫雲山金戒光明寺
承安五年(1175年)に比叡山を降りた法然は、西山広谷(光明寺)→東山吉水(安養寺)と移ったという事になっている。当時ここは比叡山黒谷の所領だったが、その時期にどのような役割・位置づけだったのか、どうもよくわからなかった。
高麗門
三門
三門の年輪を鑑賞する。見る人によっては仏の姿が見える?
鐘楼
阿弥陀堂
御影堂
熊谷直実鎧掛けの松
大方丈
極楽橋・蓮池
御廟
南門
お江慰霊塔
五劫思惟阿弥陀仏
墓地
文殊塔(三重塔)
清和天皇火葬塚
八橋検校の墓
會津墓地
会津藩主の松平
松平家は代々浄土宗を信仰していたが、徳川家康は知恩院と並んで金戒光明寺を非常時の軍事的拠点となるように整えた。
西雲院
墓地
境内は御影堂の前の広場や方丈、塔頭などを除くと、ほとんどが墓地になっている。
北門