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四宮めぐり

2013年5月

「弦楽ふるさのと会」という団体が仕掛け人らしい「弦楽上達祈願めぐり」のための「弦楽ふるさとマップ」というものを頼りに、京津線の追分駅から山科駅へと旧東海道に沿って5箇所の祈願場所を歩いた。
追分駅から南に国道1号線を渡り、適当に坂を上がって旧東海道へ出る。
それから西へ歩くと、国道1号線を歩道橋で渡った先に小関越えへの入り口がある。道標には「三井寺観音道」と書いてある。

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大津市と京都市の境界。昔なら、近江と山城の国境となるけど、あっけないほど小さな川。


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徳林庵
(四宮地蔵・山科地蔵)
徳林庵は、旧東海道に面した地蔵堂の北側の塀の向こう側も含めた範囲が境内だろう。文字が薄くなってしまっている案内板によると地蔵堂は地花堂と言うらしい。
小野篁作という伝承の仏像は紅い唇や瓔珞、衲衣が色鮮やかな豊かな顔立ちの像だ。

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蝉丸・人康親王の供養塔(宝篋印塔)。
形から見て古そう。南北朝期?とか。


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道標かと思うと「伏見六地蔵」、「南無地蔵」。

冷たい水が出そうな井戸。


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京津線の踏切を渡る。


十禅寺
本山修験宗の寺。
平安時代初期の仁明(にんみょう)天皇(在位:833年~850年)の第四皇子である人康親王の創建といわれる。
『日本三代実録』の貞觀元年に、「四品守彈正尹兼行常陸大守人康親 王出家入道。上表曰。臣人康言。身居雲漢之末。才無涓流之效。空備簪纓。徒〓疾病。」と、疾病で出家した事が記されている。当道座では失明したため出家したとし、琵琶の祖としていた、

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人康(さねやす)親王墓
「弦楽ふるさとマップ」に「十禅寺関係者の高僧の墓とみる方が妥当」と書いてあるが、そのとおりだろう。

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四宮神社
狭い路地だが、この看板を見れば容易に見つかる。
四宮とは、人康親王が仁明天皇の第四皇子であったことが名の由来とされている。
JRの線路にぎりぎりまで削られている気の毒な状況。名の由来が異なるとはいえ、大津側の四宮と言えば、大津祭の本宮である天孫神社だから、随分差をつけられたものだ。
左側の社には役行者の石像が祀られている。これは、十禅寺との関係を臭わせる。


琵琶琴元祖四宮大明神

役行者


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足摺池とも蝉丸手洗池ともいわれていたものだ(井上頼寿 1968)。雨の後は少しは池の景観になるのだろうか?


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諸羽(もろは)神社

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さわり石。触ると願いが叶うかは怪しいが…。


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人康親王山荘跡の石碑。


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左上の略記によると当初の祭神は御料地の「山階郷柳山に降臨座された」天児屋根命(めのこやねのみこと)天太玉命(あめのふとだまのみこと)で、両羽大明神と言われていたのが、清和天皇の時に社殿が整備され、後柏原天皇の永正年間(1504年~1520年)に八幡宮、伊弉諾命、素盞鳴命、若宮八幡宮を加え、両羽から諸羽になった。
神社の西・西南あたりが人康親王の山科御所跡と比定されている。
「両羽」とは天児屋根命と天太玉命は天孫降臨の時にニニギ(の左右)に付き添ったのが語源と書いてある。このニ神は天照大神を岩戸から誘い出すときにも協力している。天児屋根命は奈良の春日大社の祭神四柱の一つで藤原氏の祖神とされている。


 

親王が座って琵琶を弾いたという琵琶石。
右に伊勢物語の七十八段に出てくる紀の国の千里の浜の石?


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末社はお稲荷さんと天神さん。

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