東上野・浅草・墨東
下谷神社
明治初期に「正一位下谷稲荷社」から「下谷神社」へ改名し、いわゆる「お稲荷さん」の雰囲気が全くない神社になっている。主祭神をスサノヲと神大市比売(大歳御祖神)との子である大年神としている。伏見稲荷系のお稲荷さんは、もう一人の子であるウカノミタマ(『記』の宇迦之御魂神)を祭神としているので、ここは吒枳尼天や最上さま系の仏教系お稲荷さんだったのだろうか。戦後、神社本庁に付いたというのも、そこらの事情がありそうな感じがする。
またこの稲荷神社境内は初代三笑亭可楽が寄席(常設の演芸場)を開いたとされる場所でもある。
下谷稲荷社(隆栄稲荷神社)
稲荷町の町名ゆかりの稲荷社はこちらの感じだっただろう。「お稲荷さん」を信仰する人たちからすれば、こういう神社でなければ稲荷社とは思えなかったのはよくわかる。下谷神社の境内東側の細長い一角にこの神社の存在を認めたのは、下谷神社のお稲荷さん信者への妥協の産物だろうか。近世における周辺寺院との関係も気になるところ。
この狐塚の存在は、やはり吒枳尼天の系統を感じさせる。
日輪寺
神田山日輪寺は時宗の寺。遊行二祖他阿真教が現大手町の平将門の首塚の辺りに芝崎道場を開いたのが始まり。新宿区白銀町を経て西浅草の現在地へ移転してきた。堂内に「芝崎道場」の扁額が掛かっている。藤沢の遊行寺の本尊阿弥陀如来座像は、ここの塔頭から移したものだという。
たぬき通り
被官稲荷社
浅草神社本殿の北東にある。由緒は左下写真のとおり。覆屋の方に目を奪われてしまう。
鳥居、覆屋、安政二年(1855年)創建という社に、お稲荷さんに特徴的な朱色が全く見られないというのは三社権現や浅草寺に遠慮したのか。
浅間神社
山谷堀跡と今戸橋
木母寺
梅柳山墨田院木母寺は天台宗の寺で、元々は能『隅田川』の梅若丸の塚の傍らに建立された梅若寺だったという。広重の『江戸高名会亭尽』の木母寺雪見に描かれた植木屋というお茶屋があり、梅若塚は『怪談乳房榎』の「梅若詣りの見染め」という悲劇の発端の場でもある。
立派な宇賀神さま
鐘楼なのだろうか?
梅若塚
アパートの下にならなかっただけ有り難いと思え-と言われているような梅若塚。確かに痕跡だけでも留めていてくれてはいる。
牛嶋神社
牛から天神様かと思うと、慈覚大師円仁が感得してスサノヲを祀ったという縁起になっている。