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大和郡山

薬園(やくおん)八幡神社

奈良時代にこの辺りに薬園があったらしい。薬園は律令制下では典薬寮が管理する薬草園。

薬園八幡神社

薬園八幡神社


薬園八幡神社

『続日本紀』卷十七、天平勝寶元年(750年)十一月「乙卯 於南藥園新宮 大嘗 以因幡為由機國 美濃為須岐國」、「己酉 八幡大神託宣向京」、「甲寅 遣參議從四位上石川朝臣年足 侍從從五位下藤原朝臣魚名等 以為迎神使 路次諸國 差發兵士一百人以上 前後駈除 又 所歷之國 禁斷殺生 其從人供給 不用酒宍 道路清掃 不令污穢」と石川年足等にお迎えの体制を整えさせ、十二月「戊寅 遣五位十人 散位廿人 六衛府舍人各廿人 迎八幡神於平群郡」、「是日 入京 即於宮南梨原宮 造新殿 以為神宮 請僧卌口 悔過七日」と平群郡で出迎え平城宮南の梨原宮に鎮座された。この藥園新宮が薬園八幡神社の創始だという。



高田大神社

祭神はオオモノヌシ。郡山城築城の時に秋篠川は流路を替えられたが、その前はこの近辺をながれていたという。

高田大神社

高田大神社


高田大神社

向かって左隣にある釈尊寺。
大和北部八十八ヶ所霊場の第五十八番霊場は今となってはかなりマニアックな霊場めぐり。


郡山駅の南西にある。神社の前の道の神社両側に張った道切りの勧請縄/注連縄に惹かれた。いかにも蛇(龍)をかたどった感じのくねり方。

高田大神社

高田大神社


龍華山永慶寺

最後の城主、柳澤家の菩提寺。黄檗宗。柳沢吉里の前任地、甲州からこの寺も移ってきた。

永慶寺

永慶寺


永慶寺

永慶寺


永慶寺

永慶寺


墓地全体が整理されたようで、柳澤家の墓地も集約されている。

永慶寺

永慶寺


柳澤神社

柳澤吉保を祭神とする明治時代創建の神社。

柳澤神社

柳澤神社


 

柳澤氏は武田信玄の家臣だったご縁で川中島の合戦の絵馬


柳澤神社

柳澤神社


郡山城

城主の変遷(最初に入城した時のみ下記)
天正八年(1580年)に筒井順慶が築城
天正十三年(1585年)豊臣秀長
元和元年(1615年)水野勝成
元和五年(1620年)松平忠明
寛永十六年(1639年)本多政勝
延宝七年(1679年)松平信之
貞享二年(1685年)本多忠平
享保九年(1724年)柳沢吉里

近江の郡山藩領
五個荘
海津
醒井
柏原


郡山城

郡山城


郡山城

郡山城


西の京丘陵の先端に築かれた郡山城は、丘陵を掘って造った内堀が非常に深い。
大小様々な寄せ集めの石を使ってこれだけの高さの石垣を造ったのは大したもの。

郡山城

郡山城


柳沢文庫

本丸と堀を隔てた東側の毘沙門曲輪にある柳沢伯爵家郡山別邸の内、来客用建物部分だが、昭和初期に東京の本宅から移築されたものらしい。
柳澤家から寄贈された歴代藩主の書画、郡山藩の公用文書などを所蔵している。

郡山城

郡山城


郡山城

市民会館
興福寺境内に明治四十一年(1908年)に建てられた県立図書館を昭和四十五年(1970年)に移築したもの。


追手門周辺は、昭和五十八年(1983年)~昭和六十二年(1987年)にかけて順次再建された。
但し、幕末ではなく豊臣秀長時代のものを復元した事が、三つの金色の五七桐から見て取れる。

郡山城

郡山城


追手門

追手向櫓


郡山城

郡山城


追手門東隅櫓

 


郡山城

郡山城


郡山城

郡山城


城下町の町割

町割については主に2014年5月31日に行われた「巡検」での奈良大学文学部地理学科土平博教授の資料に依る。


町割

町割


老舗和菓子屋の「菊屋」。豊臣秀長が兄の秀吉をもてなす茶会のための菓子を菊屋治兵衛作らせたのが始まりという奈良県でも代表的な和菓子屋さん。菓子の木型を店内の壁一面に展示している。店の建物は強度が心配。

町割

町割

短冊型の町割だが、通りを挟んで向き合った家をグループにした両側町が町の単位なので、同じブロックでも、短冊が背中をくっつけたような感じになる。その背中同士の間に背割溝がある。

この空地から、短冊型の町割の一区画は間口に対し奥行きが著しく長い事が実感できる。

町割

町割


紺屋町

紺屋町はあちこちの街に町名として残っているが、ここは往時の雰囲気を若干残している。
染め布を晒していた川は、こんなに狭かったわけではなく、道路の整備に伴ってこの様になった。

紺屋町

紺屋町


紺屋町

紺屋町


洞泉寺町

外堀の南外側の東岡町などと並び遊郭地域だったところで、木造三階建ての大きな建物が幾つか残っている。
市が買い上げて保存と活用を図っているようだ。

洞泉寺町

洞泉寺町


洞泉寺町

洞泉寺町


洞泉寺町

旧川本家住宅という。「住宅」としては使いにくかっただろう。
有形文化財(建造物)として市などから指定されているわけではないようだ。奈良県全体に市町村指定の登録有形文化財は他府県と比較して少ない。


郡山八幡神社

薬園八幡神社で引用した『続日本紀』の記述に、「迎八幡神於平群郡(へぐりぐん)」とあるが、この時に勧請され郡山城の辺りに祀ったのが、築城に伴い現在地に移されたと言われる。柳八幡神社とも言われる。
郡山城下町(ほぼ地子免除の内町に相当)の南端、大門の手前にあり、外堀はここの南西角から一旦北に回り込んで再度西に延びている。

郡山八幡神社

郡山八幡神社


郡山八幡神社

一見、それほど古そうには見えないが、天保年間なので1840年代となる。
「城主 御武運長久」と家臣が奉納したものだろう。


外堀

柳四丁目の南が城下の南端。大門湯は城下側、南の花内屋は旅館だった。夜に大門が閉まってから着いた旅人は、この辺りの旅館に泊まることになったのだろう。

外堀

外堀


郡山八幡神社南の掘

牢屋跡を示す碑


外堀

外堀


外堀

 


郡山城の外堀は南東部分がかなり残っており、「外堀緑地」という公園として整備されている。

外堀

外堀


源九郎稲荷神社

歌舞伎や人形浄瑠璃の『義経千本桜』の「初音の鼓」に絡んで出てくる狐を祀った神社。

源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社


源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社


源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社