石道寺
地蔵堂
日露戦争の日本海海戦にも参加した装甲巡洋艦「春日」。
どういうご縁でしょうか。
清竜の溜池
「清竜の溜池」の脇の道は東山道。
東山道は、下の北畠具行墓がある峠(のようなところ)を越え、猫居坂を下ると中山道に合流する。
昭和五年に国の史跡名勝記念物に指定されているが、現在の基準で史跡になるのかは甚だ疑問ではある。文化庁の国指定文化財等データベースの「 史跡名勝天然記念物:北畠具行墓」 詳細解説によると、柏原字丸山猫居坂上丘陵ノ一端ニアリ 高サ六尺七寸ノ宝篋印塔ニシテ台石ニ「貞和三■十一月二十六日」ト刻セリ具行生害後十六年介錯者田兒六郎左衛門ノ建立ト傳ヘラル 今石柵ヲ設ケ石柵前ニ石燈籠ニ基ヲ置キ傍ニ大正十三年二月建立ノ表忠碑アリ
と表示されている。(http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/ 2015/02/05確認)
建部神社の宮司が書いた顕彰碑(表忠碑)
道を挟んだ反対側にはお地蔵さんの石窟。
猫居坂を下り、中山道に出る。柏原宿は中山道60番目の宿場。
場所を変えて復元された南側の一里塚の跡
北塚は、左写真右の白い建物「中井町集会所」あたりにあった。
柏原は醒ヶ井や長久寺と並び享保九年(1724年)以降(大和)郡山藩の坂田郡の藩領の一部だった。郡山藩の柳沢家は譜代大名として、近江では高島郡の海津、神崎郡の金堂村など街道筋の要衝をおさえている。
御茶屋御殿は生垣の向こう側にあった。
「牛頭天王」「妙法寺」の表示を見て南へ歩くと津島神社があった。 尾張津島の"牛頭天王の総本社"津島神社を勧請したのだろう。これに限らず、柏原宿あたりは、近江よりも美濃・尾張とのつながりが目につく。
明星山泉明院は津島神社より更に南にある。宿内東は現在の住居表示にはないが、本陣の東側のこの周辺のことだろう。泉明院は最澄が自刻したという伝承の薬師如来像を本尊とする天台宗寺院だが、明星輪寺という寺号だった時期もあったという、真言宗だが大垣市赤坂町にある金生山明星輪寺との関係が気になる。
日枝神社になっているが、「山王権現」「毘沙門天」と書いた石柱が右側の石燈籠の右端に立っている。毘沙門天(多聞天)は山王二十一社の中七社の一つ、大行事(大物忌神)の本地仏
。柏原宿歴史館
入母屋造の妻飾りや軒が重なった重厚な建物は大正六年築の旧松浦久一郎邸。
福助は伊吹堂亀屋佐京商店が発祥の地という説もある。
めくら般若心経の掛け軸
江濃国境の寝物語の道標がこんなところに!
伊吹堂亀屋佐京商店
高札場跡
本陣跡
奥の家は「映画監督 吉村公三郎実家」。脇本陣の家柄だった。
脇本陣跡
問屋とか馬差とか継立とか、更に助郷村などが出てくれば、大学入試に際して日本史Bの勉強になります。