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高月町の野神さん(6頁)

横山の野神さん

横山

横山


前方後円墳の円墳の頂上に野神さんの石碑跡のようなものがある。青竹の頂上に御幣を下げてあるこれが野神さんだろう。隣には稲荷社がある。

横山

横山


横山

横山


横山

横山


横山神社

横山

横山


横山

横山


横山

横山


この木も野神さん扱い?唐川の?

横山

横山


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東物部の野神さん

東物部

東物部


高月の多くの野神さんにある「野大神」の石柱は、圃場整備の後に立てられたもの。
東物部と西物部は圃場整備によって墓地も野神さんのそばに移され纏められている。野神さんがある「東物部浄園」は明らかにこうした墓地。

「野神さん」は写真にある欅の巨木ではなく、下の写真の石柱の位置にあったという檜を指していたらしい。現在は石柱がその代替となっている。昔は「農神」だったらしい。*7

東物部

東物部


野神さんの傍におられた婦人の話では、野神祭ではお神酒を奉納する。前日の夜に仕込み、16日早朝にお神酒と神饌を供えるそうだ。

東物部

東物部


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東物部

集落に入ると落ち着いた景観にほっとする。

光明寺


東物部

東物部


東物部

東物部


 

乃伎多神社


東物部

東物部乃伎多神社


乃伎多神社の主祭神である味饒田命ウマシニギタノミコトは物部連の祖神・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(饒速日ニギハヤヒ)の孫で宇摩志麻治命の子となる。村域の東部に正の宮跡などの地名があり、かつて乃伎多神社はその地域に鎮座していたのではないかと言われる。

東物部

東物部


西物部の野神さん

集落の東(東南)隅にある。圃場整備でまとめられた墓地のそばだが、木は昔のままの位置だろう。

西物部

西物部


西物部

西物部


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西物部

八幡神社

 


西物部八幡神社

西物部


西物部

西物部


西物部

西物部


磯野

磯野

磯野


磯野

磯野氏と磯野城
磯野氏は井口氏や阿閉氏と同じく京極氏に被官した国人で、磯野集落から余呉川を渡った西の山中に磯野城という山城を築いた。直系ではないが、佐和山城主磯野伊予守員吉の養子に迎えられた員宗の子が磯野員昌かずまさで、浅井氏に従ったが、佐和山城は南の六角氏に対する浅井氏の拠点という位置にあった。元亀元年(1570)四月に越前の朝倉氏を責める織田信長に対し「反覆」した浅井長政に対し、危機を脱した信長は6月に長政を攻める。その時の姉川の戦いで磯野員昌は信長の陣に深く切り込み名を馳せた。この時、信長は小谷城を落とせなかったが、南の横山城を降参させた。佐和山城北の横山城を信長に押さえられてしまい、元亀ニ年(1571)佐和山城の員昌は信長に降参した。その後、信長から高島郡を与えられたが、天正六年(1578)、理由は明らかでないが「二月三日、磯野丹波守、上意を違背申し、御折檻なされ、逐電仕り(『信長公記』巻十一)」と高島をとりあげられてしまう。


磯野寺・赤見神社

磯野寺・赤見神社

磯野寺・赤見神社


磯野寺・赤見神社

磯野寺・赤見神社


磯野寺・赤見神社

磯野寺・赤見神社


磯野は2月15日に行われる「嫁オコナイ」で知られている。

磯野寺・赤見神社

磯野寺・赤見神社


磯野の野神さん

磯野の野神さん

磯野集落には「磯野の一本杉」があったが枯れてしまい、若木が植えられた*2 P193という。野神祭は赤見神社で始まる。


磯野の野神さん

磯野の野神さん


磯野の野神さん

磯野の野神さん


磯野の野神さん

『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』*2には、『野大神』の石碑が建つ。そばに直径二メートルほどの大きな穴があり、これは旧野神の切株が朽ちたものである。石碑と穴の間に新野神が立っている。四方には笹が立てられ、注連縄が張ってある。前には神饌台が置かれ(194ページ)とある。穴は見当たらないので埋められたのだろう。「農萬年寿」の石碑の前あたりにあったのか?


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