多賀町の野神・山之神
字山之神
『多賀町史 別巻』*1の「附図」には地図上に小字名が記入されているが、「附図3」の多賀大社東に「山之神」が見える。
南北どちら側から眺めても山之神とイメージが結びつかない景観に思われるが……。多賀町のこのような平野部に山之神の地名が見える例は他にない。
多賀大社前駅から国道306号線との交差点までの県道224号線は、「附図3」を見ると住友セメントの引き込み線跡で、この引き込み線はダイニック滋賀工場まで延びていたようだ。ダイニックに隣接して住友大阪セメント株式会社滋賀サービスステーションがある。
敏満寺の字野神
大門池側から国道307号線を挟んでの眺め。
『多賀町史 別巻』732ページに「敏満寺の野神は下之神小路が主宰している。この宮は現在は二ノ井堰にあるが、もとは四ノ井近くに鎮座していた。犬神川の氾濫で、境内の木も堂も流された時、総出で猿木(多賀町猿木:近江鉄道・東海道新幹線が犬上川を渡るあたりの集落。2.5kmくらい離れている。)の方まで探しに行き、川原から灯籠の笠と台を発見し、持ち帰った。いまお堂のわきに残っている。組員は九戸で、例年春秋二回お祭りをしていたが、いまは簡略化している。」という記述がある。『多賀町史 別巻』「附図3」に記された敏満寺の小字名は大門池の北側、国道307号線の脇にあたる。しかしこの辺りは上之神小路(うえのがみしょうじ)にあたるのではないかという感じもする。それにしても、上之神、下之神の「之神」は「野神」だったのではないかという推測も可能だろう。この「小路」というのは、村内を分けた「区」を更に分けた単位で「組」に相当する。
飯盛木
飯盛木は、近世から知られている名所だが、これは野神さんではないのかという想像が浮かぶ。男女神(夫婦神?)という組み合わせは山之神との関係をも思わせる。
彦根市の野神・山之神
彦留村字野神
稲枝駅の南方、線路沿い東側。『彦根明治の古地図 1』*2収録彦留村絵図に小字名として「野神」が見える。
愛知川右岸には野神が希薄だが、愛荘町川原(愛智郡河原村)、ここ愛智郡彦留村には川沿いの草刈場だったと思われる位置に野神が祀られていたことがわかる。
- *01 多賀町史編さん委員会/編『多賀町史 別巻』多賀町 1995
- *02 彦根市史編集委員会/編『彦根明治の古地図 1』彦根市 2001 90~94頁