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亀甲山勧修寺

京都市山科区勧修寺仁王堂町。
真言宗山階派大本山。真言宗は分派が多くて各々を理解するのが難しい。
北側には名神高速道路、南側は京都府道35号大津淀線(大津街道、伏見街道)に接していて風致を維持するのに気の毒な場所。

勧修寺


勧修寺と言えば徳川光圀寄進というこの勧修寺灯籠。


勧修寺

勧修寺


1697年(元禄10年)に明正天皇の旧殿を下賜されたという宸殿。

臥竜の老梅。幹はなくなってしまった親の根から子と孫が育っている。孫と言うよりも子が二人と考えるのが正しそう。


勧修寺

勧修寺


門跡寺院といっても真言宗の寺。山岳宗教の気配がこの平地の寺にもうかがえる。しかし滝行には高さが不足していると思うけど。

勧修寺

勧修寺


こうして見ると山の中の感じがするが、実際は塀の外は府道35号線で車の音がうるさい。
氷室池の南半分には四国八十八箇所巡りの石仏が点在している。

勧修寺

勧修寺


池越しに宸殿を見る。

朽ちかけていて渡れない橋。


勧修寺

勧修寺


氷室池の島にある小野道風玉毫出奔之詩跡。亀が重そうな顔をしている。小野道風はともかく、玉毫出奔之詩とは何があったのやら。

勧修寺

勧修寺


小野道風玉毫出奔之詩跡の横は千年杉。右は宸殿側からの眺め。


勧修寺

勧修寺


勧修寺

勧修寺


勧修寺

カメラを向けて近づいてもびくともしないふてぶてしさ。


氷室池。


勧修寺

勧修寺


勧修寺

勧修寺


勧修寺

観音堂。
不自然に色白の観音様だ。


勧修寺

勧修寺




仏光院

仏光院


仏光院

仏光院


大石順教尼(1888年~1968年)は、大阪堀江の芸妓だったが、明治三十八年(1905年)に起きた堀江六人斬り事件で両腕を失った。高野山で得度し、ここに身障者のための「自在会」を設立して身体障害者の自立支援活動を行った。口に筆をくわえて書画を書く技能を身に付け、書展での入選実績もある。

大石順教尼についてもっと知るには、大石順教先生のご紹介を参照。