多度から多賀へ
多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604
拝殿の格天井。涼しげに見える。
第一次世界大戦で日本は地中海に連合軍の輸送船団護衛のために巡洋艦と駆逐艦を派遣した。絵の船は巡洋艦明石だろう。
明治の神仏分離でも残った鐘楼。
多賀大社のWebサイトでも、明応3年(1494)、天台宗の不動院が建立され、その後、観音院・般若院・成就院の社僧・坊人たちの活発な布教により多賀信仰が全国各地に広まりました。
と、多賀大明神として多賀信仰を広めたのが僧侶だった事を認めた記述になっている。
多賀大明神の応時の状況はhttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/hoso_taga.htmに詳しい。
日向神社は多賀大社の摂社という扱いだが案内板に書いてあるようにもともとは別の神社。
寿命石。由来は胡宮神社の寿命石を参照ください。
金咲稲荷神社(「病弘法、欲稲荷」ですね。)
勧請縄のつもりなのか何かを下げるただの縄なのか?
境内を北側に出たところにある神田。
6月初めのお田植え祭では早乙女が田植えをする。
奥書院の庭園。書院から庭を見降ろす形が珍しい。豊臣秀吉が母大政所の病気平癒のお礼として太閤橋、太閤倉とともに寄進したもの
だそうで国指定の名勝。
そのわりには充分整備されていない。書院そのものも含めて、これらがかつての寺の一部(不動院)で神社として活用しにくいからだろう。本来なら、もっと観光客向けにアピールしても良さそうなのに拝観券はお札授与所で買い、祈祷控え室や参集殿への廊下を抜けてたどり着く。
奥書院は多賀大社最古の建物で江戸時代中期に建てられた不動院の書院。
襖絵は明らかに狩野派だが作者不明らしい。
襖絵だけでなく杉戸絵も良い。
延命地蔵尊。多賀大社の境内のすぐ南にある延命地蔵堂。
駅のそばの延命地蔵尊とは違い、かつては境内の中にあったのかもしれない。