奈良市の色々(1)
念仏寺山古墳(春日率川坂上陵、開化天皇陵)
実在性は疑わしい第九代天皇の全長105mの前方後円墳。5世紀前半の築造と思われる。
東隣の念仏寺から覗いた。
降魔山念仏寺
左下の説明板に書いてあるように面白い由緒のお寺。家康の鎧がこのページ下の漢國神社にある。
「木津の戦い」があったとすれば、大阪市の西部を流れる木津川下流の木津村あたりか?家康の陣があった茶臼山の海側だが真田幸村がそこまで進出したのかな?
源九郎稲荷
五来重編『稲荷信仰の研究』(山陽新聞社 昭和六十年)の「総論」(P.16)によると、この稲荷社は以前は、すぐ西隣の開化天皇陵の中腹の狐穴にあったが、明治時代に漢國神社に合祀された。念仏寺は狐のためにここに祀ったという。
漢國 神社
その末裔は東京の明石町にある塩瀬総本家。
饅頭塚が、こちら側にある。
開化天皇陵から移された源九郎稲荷が祀られている。
"養老五年に百済王が元正天皇に献上した白雉が死んだ後、ここに埋められた"という伝承になっている。養老五年(721年)には百済は既に滅亡している。出典不明の伝説。
紫雲山西照寺
開化天皇陵の西側にある。能の『百萬』は、嵯峨の釈迦堂で、曲舞師の女物狂が西大寺で見失った子供に再会する話。その女の供養塔がここにある。
右隣の徳川家康の五輪塔よりも大きくて形もよい。
徳川家康を東照大権現として祀る東照宮は、江戸時代に各地に造られているが、ここに造られたのは念仏寺などこの辺りの徳川家康に関する伝承の関係ではないだろうか。
左の大きい方が百萬の供養塔。右が徳川家康の五輪塔
高札場