稲荷山(3)
四ツ辻から御幸奉拝所へ
権太夫大神に上がる石段の左手に御幸奉拝所への道がある。
(権太夫大神に上って後ろ側から下る石段でも行ける。)
この道からは深草や岩清水八幡宮方面の眺めがよい。
御幸奉拝所への道が権太夫大神を越えて後ろ側から下る石段と合流する地点にある「地蔵堂」。でも、この石仏はお地蔵さんではないようだ。右手に白滝へ下る道もある。
御幸 奉拝所
昭和三十八年に造られた新しいお塚群。
三ツ辻から御産場へ
三ツ辻から御産場への道に入ったすぐの所に右に下る道がある。人家と畑の先に平安初期に浄蔵が修行した場所といわれる所がある。浄蔵(浄蔵貴所)は文章博士や大学頭になった三善清行の子で、日蔵の兄弟と言われる。日蔵は真言宗系の修験道的な修行をし色々な奇異な伝説の多い人物だが、浄蔵は天台密教を学び、平将門の乱の時にも調伏の修法を行ったとか。声明でも有名な人。
この道をそのまま歩くと古池のそばに出る。
三ツ辻から御産場へ下る道は、左側になる南側に社やお塚が立ち並び、千本鳥居から上るのとはまた異なった姿を見せる。
ここでは豊川稲荷・荼枳尼天も堂々と祀られている。
毎日新聞の毎日稲荷や
毎日新聞の記事によると伏見稲荷大社の初午大祭の日には稲荷山の中腹に1907(明治40)年に建てられた「毎日稲荷社」「広告(ひろつげ)稲荷社」でも初午祭があり、河野俊史・毎日新聞社常務取締役大阪本社代表や斉藤功・京都毎日会会長らが玉串を奉納した。
(毎日新聞 2014年02月04日 大阪夕刊)のだとか。
お山で一番大きなお塚?
荒木神社
口入稲荷大神という縁結び(必ずしも男女の出会いに限定していなくて、人と人との結びつきということになっているようだ。)の神様で有名になった。
吒枳尼天のお塚もある。
この辺りは北側に鬼法教總神苑、南側は大日本大道教と伏見稲荷大社とは別の宗教団体が目立っている。
お産場稲荷社
安産の神様。
狐は犬と同様にお産が軽いとされていたらしい。
本当にそうかは、女狐に聞いてみないとわからないが。
上の案内板に書いてあるように、土盛りした塚?の周囲に月別に12の狐穴が掘られていて、奥には狐がいるような…