東塔(比叡山縦走)
2012年6月ほか
弁慶水は特に弁慶とは関係ないようだが、延暦寺にとっての貴重な水源。
新しすぎて有難さは今一だが、22世紀になれば立派な建築遺産。
左下は法華総持院、右下は阿弥陀堂。
遊び心も大切です。京都の銭湯を思い出させた。
根本中堂
修学旅行ではここらを観ただけで帰ってしまうコースが多いはず。徳川家光再建ということで、意匠はいかにもそれらしい。
撮影禁止の外陣の格天井や欄間の彫刻は意外な見どころ。下の写真は回廊の彫刻を外側から撮ったもの。
文殊楼。山門や天守閣によくある急な階段で楼上に上がることができる。
下の門からこの石段を上がり、文殊楼をくぐって、根本中堂へ再び石段を下るのが正しいルート。
星峯稲荷はダ枳尼天を祀る。
ダ枳尼天については、真如堂とか、東京赤坂豊川稲荷別院を参照。
大書院
三面六臂の大黒天立像を祀る。正面が大黒天、向かって左に毘沙門天、右は弁財天。
男2人が子祭の時にここへ詣で連歌を奉納すると、大黒天が現われ連歌を褒め打出の小槌や宝を入れた袋を与え謡い舞うという「大黒連歌」という狂言がある。
本坂の中腹、要の
女人禁制なので女性はこのお地蔵さんに様々な悩みを語って帰ったので悩み?の地蔵とも言われましたといった説明が書いてある。
でも、石造りのお地蔵さんはきれいで新しそう。
戒壇院。戒壇とは授戒を授ける/受ける場。最澄は長く延暦寺に戒壇院を設ける事を望んでいたが、当時は東大寺の戒壇院、大宰府の観世音寺、下野の薬師寺に戒壇院があり、なかなか朝廷からの許可が出なかった。最澄は弘仁13年(822年)6月4日に遷化(死去)、6月11日に延暦寺に戒壇院を設けることを許す勅許が出た。
鎌倉時代初期の東塔。法華総持院再建の参考にされたという。
説明にある菅原道真と法性坊尊意の話は、能「雷電」の内容。
ただし、Wikipediaの「雷電 (能)」脚注には出典はわからないが尊意は道真より21歳年下である。
と書いてある。
大講堂
法華三昧道場。 大講堂の後ろにある。
前唐院。同じく大講堂の後ろにあるが、円仁の住坊だったという。